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@ゆりかごから墓場まで@

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拒否を受け入れてくれない場合のメモ

拒否を受け入れてくれない状態とは、

相手が明確な拒否の態度を示しているにもかかわらず、言葉づかい・言い方・仕草をとりあげて揶揄したり、自分の都合に合わせて発信の意図を歪曲したり、態度自体を取り合わなかったり、話題がそこへ至るまでの文脈を破棄して別の話題にすり替えたり(ex.「真っ赤になってて笑える」「言い方が色っぽくて魅力を感じる」「声がうるさいから聞く気なくした」「そのたとえ話に出てくるクッキーおいしいよね」)して、拒否を示したこと自体を無視する。あるいは、無視しなかったとしても自分側の都合を言って往生際悪く受け入れさせようとする。

このように、相手の拒否は受け入れないが、自分の拒否は受け入れられるべきであるとして、拒否を拒否で返したりする。



  ・ 相手の拒否を受け入れないことが常態化している人
  ・ 特定の相手(属性、個人)の拒否を受け入れない人

は、

自分の言動はまかり通るべきものだと思っており、自身の感情に基づくものを「正義」、「人権」、「純粋な/素直な/正直な気持ち」などの言葉に言い換えて不可侵の絶対的なものであるかのようにいう。

社会的な折り合いのつけ方として、

気にくわない思想を悪魔化して、見下す・罰する・排除する、という他者へ向けたアクションをとる場合もあれば、

意見の対立について誰もが「正義」 を持つとして、「正義同士のぶつかり合い」→「間違っている者は誰もいない」→「戦争は避けられない」という衝突の不可避を唱え、「戦争万歳」とばかりに決着をつける場 として安易に肯定したり、「すべてを受け入れる聖人」「誰にでも認められる思想」など全知全能の八方美人をこの上なく正しいものと定めてそれを志向したり、独特の思想を形成する場合もある。

※ 前出の「人権」「純粋さ」「素直さ」「正直さ」と言い換えられる。
※ つまり、必ず一方が他方の正義において悪として葬り去られるべきとする。

  周辺にある問題との兼ね合いよりも、ただ個人の感情に基づいて決着をつけたい
  いかなるイデオロギーをも腕力で押し通すのが強者であり、強者こそが正義という理屈。


自分が認めるもの以外認めないという明確な排他性を示すにしろ、「すべてを受け入れる」「誰にでも認められる」と体面の良い言い回しを選んでいたとしても、相手の拒否を受け入れたがらないので自分の理解を超える他者の言い分は基本的に右から左へ聞き流して、自分の意見を優先する。拒否されようとひたすらぶちこんでくる。



相手が拒否を受け入れそうにないときは、

会話は成立しないので意見の出し合いになる。
意思疎通を目指すのは得策とはいえない。

逃げるか、立ち去るのを待つか、蹴散らすかは当初の「拒否」を貫く態度として自信のあるやり方で対処しよう。コツとして「拒否を受け入れない」人のこちらに対する人格批判や評価は一方的な押し付けなので流すこと。


実りある殴り合いを。

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