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@ゆりかごから墓場まで@

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学園生活をループする話

これをあっちの文章にいれちゃだめだと思ったから、こっちに置く。

* * *

わたしは卒論(50000字以上だったか)をテーマ決め含めて1週間で書いた。当然ながら内容があやしい。少ない根拠から組み立てたので非常に胡散臭い。我ながら話の筋を通したのはなかなかの力技だったと思う。が、果たして卒論としての体裁は整っていただろうか? 文字数は表で補ったため、地の文章で計算するという規定から言ったら危うかった。し、本来なら卒論の内容を振り返って、反省点を述べたり次回への抱負を言うなどをする“終わりに” の部分に「燃え尽きたぜ」 というニュアンスの15文字程度の一言を書いたことがひじょーにマズイと卒論執筆指導の教授から言われた。かくても、卒論の合否は学科内の専攻分野ごとにいるいちばん偉い先生の判断にゆだねられる。その人が良いと言えば良いことになる。私は一週間程度で書いたぺらっぺらの内容に加えて、不備が指摘されるもろもろの事項をこれといって問題にされることなく、“テーマが面白い” との評を頂いて学校を卒業させてもらった。

日本ってそういう国……

修学旅行に行きたくないことを理由に尿検査を提出しなかったにも関わらず、強制的に旅行に連れてかれるような国です。情けと決まりごとがごっちゃになっている。当人のいかなる心情から発した行動および結果であるかということに関わらず、「自分が与えうる幸福を与えることが尊いことだ」という宗教的思想の上で成り立っている。つまり、主観的な、「せっかく期日まで間に合わせて書いた卒論の内容に不備があるからと言って、書き上げた努力を認めないわけにはいかない」 という温情と、「尿検査の提出ごときで学生生活一の重大イベントといえる修学旅行に行けないのは可哀想だ」 という慈悲によって、本来定められているはずの基準や決まりごとは無視される。きわめて感情的な判断のもと、良し悪しの判断がなされるため、最終決定をくだす人の気分次第で運命を左右されてしまう。

なお、“日本は” とは言い過ぎで、どちらの学校も私立だったので、私立の学校ってそういう学校(かもしれない) というのが正しいのだけれど。


 *

わたしは、モンスターズユニバーシティを見て衝撃を受けた!
これがカルチャーショックかぁ!! ってなった。
(ここの話の流れとは全く関係ないけれど、若サリーが良い奴だった)


 *

…… 朗報です。
私立学校がアバウトなんだ。
学校がおかしかったのであって、外の社会はシステムを保とうとしてる。
私を含めて、一部の頭の弱い人たちは社会よりも自分がいた学校のやり方を疑った方がよい。社会を敵に回すよりも、自分に世の中の仕組みを理解させた学校のほうが小さくてとりかかりやすいぞ! 社会のミニチュアってのは嘘だし、教育機関でありながら何を教育しようとしてるのかわからん。良い学校で社会的に役に立つ機関だったかどうかは、もろもろひっくるめて俯瞰してみないとわからない。


だから、学校は信用しちゃいけないって思ったよ。
学園ものなんて嫌いだ!  (それは言いすぎだし、嘘ですよ)


※ ジャンルへの好みの問題は……
趣向からの判断か、自分自身の葛藤を投影しての判断か、を自分の胸に手をあてて考えてみればいいと思う。だいたいの人は学園ものという趣向を愛しているのだと思う。青春じゃん。別に学校VS生徒とか、学校=社会とかいう発想に至り「世間ってまじパネェ」 とかネタじゃなく本気で言い出さなければ、たぶんきっと、世の中は明るくあったかいと思う。そうじゃなく、社会に出てつまはじきになって学校に帰ってきちゃう気持ちって、つまりそういうこと(うえで書いたような事)なんじゃないかな、っていう…… 


感想にすぎない!

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