2011/06/13 Category : ないようがないような 仲間がほしいけどさみしいからじゃないんだよ さみしいでものを考えると楽しくなれない気がする。私が楽しい事はたいていの人にはわからない。いくらさみしいって言ってもきりがない。意味不明なことをやっている。もう、わかんないならわかんないでいいんだよ。わたしがやっている意味不明さを笑うならともかく、意味不明だけどわかった気になって愛想笑いされるというのがものすごく嫌い。やめて。わたしも分かってもらえたと思って油断するんだ。油断して話をするとますますわかんないことをわたしは言い出すと思うんだ。それで理解されてなかったと知ったときの裏切られた気持ちというのは、わたしがいくら説明してもわたし以外の人間には共感してもらえない。「あの人は怒りっぽい」「偏屈」「うざい」などのマイナスの印象として刻印される。ひどい!もし分からなかったら質問してくれればいいんだ。仕方ないんだよ、分からないことは分からないんだから。歩み寄るっていうのは双方が一生懸命分かり合おうとすることだと思う。理解する努力と理解させようという努力が行き違ってるとまったくもって近づけない。私ほどに分けわかんない人間を理解できる人間なんてまずいないと私は思っている。でも、とりあえず、そのわけわかんなさも一緒くたに笑ってくれる人っていないのかな。そういう人っていたのかな?決して、そんな人と分かり合えるとは思わないんだけれど、でも、やっぱり(妥協だよ)それでもいいんだ。それでも良いから仲良くしましょう。。。・・・まずは、自分を笑えればいいんだな。 PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword