2015/04/12 Category : 創作*詩*小説 まわりくどい“馬鹿”(未完) ある知人に「死ね」とメールで送りつけたくなった。全人類死ねばいいとさえ思う。誰でもいいから「死ね」と叫びたい。けれど、とっさに思い浮かんだのはその人だけだった。そいつに「死ね」と言えれば満足できる気がした。その人に対して後ろめたさとともに不満が生じるような思い出があった。その時の嫌な気持ちを忘れたかったから、「死ね」と言いたい。もちろん、他人にこんなことを相談すれば「あとで後悔するだけ」とか「そんなことをしても気が晴れるはずかない」という“思いやり” を込めた助言をされるだろう。間違いのない一般論を工夫もなく心に響かない口ぶりで言われるに違いない。反社会的な発言にチャンスを得て“常識的な良い人アピール” をしようという魂胆じゃないかと疑わしく、全く信用ならない。だから、他の誰にもわたしの計画を教えたくない。そうやって、誰かの意見を発表する機会にされてはたまらない。機会なんて自分で作ればいいじゃないか。そりゃ、なんの脈絡もなく突然「人の心を思いやろう」「思想は自由だ」「人々は平等なのだ」などと叫ぶ奴がいたら、どうかしてるとしか思えないだろうね。<死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……> と連続して書くのには意図がある。恐怖を煽ろうとか、不気味な印象を与えようとか。文字数を重ねた労力に感動してほしいところだ。しかし、手段としては幼稚すぎる。もっと効果的かつ知的で相手に好印象を与えるような素敵なやり方はないだろうか。「夜道に気をつけて(意訳:死ね)」「よい夢を(意訳:死ね)」「いつかあの星につれていってあげるよ(意訳:死ね)」遠まわしに言えば格好がつくというものでもない。そもそも、「死ね」と言われて気分がいいはずないじゃないか。 PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword