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@ゆりかごから墓場まで@

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内心の自由とツンデレ

まず、《内心は自由なので他人の心理を特定することはできない》
という前提を念頭に置いておく必要があります。

【厳しい人】と言いましたが、これは他人からの評価です。厳しいとされた当人の望みや思想は関係ありませんし、そもそも知りえないことです。厳しい、と評価を下す人のリサーチと推測と主観的な価値観によって判ずることになるでしょう。




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Aの人格を問うアンケート


【例題】Aは、いじめられてるBを助けました。そして「べつにおまえのためではない」と言い、いじめられている状況を打開できなかったBを殴りました。

Aはサイコパスですか? 厳しい人ですか? ツンデレですか?


(ツイート本文引用)



ご協力ありがとうございました!!!

拡散力がないので全く票が入らない覚悟でいましたが、
結果が割れるだけの数をいただけたこと、とても、とても、感謝しております。



● 意図と解説

アンケートは、感情や人物のバックボーンが記述されていない文章から読者が人物の人格をどのように判断するのかを問うものでした。【例題】には感情の記述は一切ありません。AがBにいかなる感情を持っているかも明記していません。また、「助けた」「おまえのためではない」「殴る」の論理的整合性を説明するAに関する情報もありません。

記述の限りでは、Aの人格の判断材料となるのは「いじめ」への対応だけです。Aはいじめが発生している状況が解消されるための行動をしています。「助ける」ことで自ら状況を解消したし、「状況を打開できなかったことを理由にBを殴」ったのは いじめられている人に状況解消の責任を問うています。

アンケート結果は割れました。なぜ「解釈は人それぞれ」になるのか。これはまず〈記述のなかに整合性のある情報を求めるか/自身が持っている前提に整合性をもたせるために情報を補填するか〉という分岐があったように思われました。

また、選択肢は《サイコパス/厳しい人/ツンデレ》です。Aの行動に人道的価値観による客観的評価をしたと思います。評価は■いじめがある状況を解消するという目的■いじめられている人に状況解消の責任を問う/殴るという手段■目的に対する手段の妥当性 のいずれに重きを置いたかによって変動したと推測しています。

以下は、それぞれの回答について選択した理由の考察です。



● 結果の考察

《ツンデレ》を選んだ方は、なんらかの前提によってAがBに好意的感情があるとしたか。「助けた」「打開できなかったことを理由に殴る」はBのためになる行動だから、そこに感情的な理由があると見立て「おまえのためではない」を照れ隠しと読んだのではないでしょうか。

また、デレを人情の発露まで意味を広げるというご意見を伺っているので、いじめが発生している状況解消のための行動をとったことに人情を認めて《ツンデレ》とした方もいるかもしれません。

 *

《サイコパス》(※ 人倫を欠いている人ぐらいの意味か。説明が曖昧でした)は、言動に整合性を認めて妥当といえる前提(Aは拳の強さを示す必要がある生育環境だった、など)を想定できなかったか、「Bを殴る」という対応に倫理観がない(人を殴ってはいけない)という理由での判断と考えています。

 *

《厳しい人》はおそらく消去法での選択かと思います。感情の記述がないから《ツンデレ》は選べないし、言動の整合性を説明するAに関する情報が不明なので評価を保留にすると《サイコパス》は選択肢から外れます。あるいは、いじめられていたBに対して厳しい対応をしているという判断か。



 * * *

選択肢の優劣は問いません。ただ今回人格についての評価という性質上、情報不足や想像が及ばないことに関して評価を保留にする判断や、評価を下すとき何に重きを置いているかを自問する慎重さがあったらいいな、と思いました。




―― 以上 m(_ _)m

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《幼女》のこと【1】――聖ロザリンド

これは《幼女》についての私の勝手なイメージです。

《幼女》というと、小さな体格とそれ相応の力、つまり筋肉量に比例する力はあまりないことが想像される。幼く経験が浅いゆえの知識不足や非力ゆえの必死さから目的を達成するために《容赦しない/加減がない》(大胆ともいえる)行動に結びつく。

また《幼女》は庇護を必要とする。庇護者への信頼から(あるいは信頼を得るために)言いつけに対して従順である一方、それが信頼しなければならない言いつけであるために、いかなる状況においても自己判断によって守るか否かを決定することをしない(あるいは、できない)。《教条主義的》と言える。


【お断り】● 現実の幼女と言われる年代の女性を観測して、その実態について言った内容ではありません。● 創作物に登場する《幼女》として描かれる人物の表象のなかでも私個人が観測した範囲での認識かつ、恣意的に取捨選択した情報のみに絞って言及しています。● まともな研究とかではありません。


大分いい加減な話ですが、ご興味があれば以下より
わたなべまさこ『聖ロザリンド』 の話をしています。


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拒否を受け入れてくれない場合のメモ

拒否を受け入れてくれない状態とは、

相手が明確な拒否の態度を示しているにもかかわらず、言葉づかい・言い方・仕草をとりあげて揶揄したり、自分の都合に合わせて発信の意図を歪曲したり、態度自体を取り合わなかったり、話題がそこへ至るまでの文脈を破棄して別の話題にすり替えたり(ex.「真っ赤になってて笑える」「言い方が色っぽくて魅力を感じる」「声がうるさいから聞く気なくした」「そのたとえ話に出てくるクッキーおいしいよね」)して、拒否を示したこと自体を無視する。あるいは、無視しなかったとしても自分側の都合を言って往生際悪く受け入れさせようとする。

このように、相手の拒否は受け入れないが、自分の拒否は受け入れられるべきであるとして、拒否を拒否で返したりする。



  ・ 相手の拒否を受け入れないことが常態化している人
  ・ 特定の相手(属性、個人)の拒否を受け入れない人

は、

自分の言動はまかり通るべきものだと思っており、自身の感情に基づくものを「正義」、「人権」、「純粋な/素直な/正直な気持ち」などの言葉に言い換えて不可侵の絶対的なものであるかのようにいう。

社会的な折り合いのつけ方として、

気にくわない思想を悪魔化して、見下す・罰する・排除する、という他者へ向けたアクションをとる場合もあれば、

意見の対立について誰もが「正義」 を持つとして、「正義同士のぶつかり合い」→「間違っている者は誰もいない」→「戦争は避けられない」という衝突の不可避を唱え、「戦争万歳」とばかりに決着をつける場 として安易に肯定したり、「すべてを受け入れる聖人」「誰にでも認められる思想」など全知全能の八方美人をこの上なく正しいものと定めてそれを志向したり、独特の思想を形成する場合もある。

※ 前出の「人権」「純粋さ」「素直さ」「正直さ」と言い換えられる。
※ つまり、必ず一方が他方の正義において悪として葬り去られるべきとする。

  周辺にある問題との兼ね合いよりも、ただ個人の感情に基づいて決着をつけたい
  いかなるイデオロギーをも腕力で押し通すのが強者であり、強者こそが正義という理屈。


自分が認めるもの以外認めないという明確な排他性を示すにしろ、「すべてを受け入れる」「誰にでも認められる」と体面の良い言い回しを選んでいたとしても、相手の拒否を受け入れたがらないので自分の理解を超える他者の言い分は基本的に右から左へ聞き流して、自分の意見を優先する。拒否されようとひたすらぶちこんでくる。



相手が拒否を受け入れそうにないときは、

会話は成立しないので意見の出し合いになる。
意思疎通を目指すのは得策とはいえない。

逃げるか、立ち去るのを待つか、蹴散らすかは当初の「拒否」を貫く態度として自信のあるやり方で対処しよう。コツとして「拒否を受け入れない」人のこちらに対する人格批判や評価は一方的な押し付けなので流すこと。


実りある殴り合いを。

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