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@ゆりかごから墓場まで@

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ホットケー木

ボチボチ回復しています。ご心配おかけしました(´`;)
サークル発表用の台本作ったり、MC考えたりという作業が舞い込んできて気合いをいれ直さなきゃなりません。自分で考えずに外にやる事があるって素敵。

 *

たぶん、ストレス耐性が平均より大分モロいので原因不明の不安状態とかイライラというのが半年に一度ぐらいのペースでやってくる。去年もこの辺りだったので、今年の12月あたりがまたやばそうでやだなぁ・・・とは思っています。

(--;)

それはいいとして、不安になったことというと同時にいろんなことに興味がわいて、いろんなことが一緒くたになって、よくわからないけれどとにかく不安だったり、気が重かったり、つらかったりする。起きてるのが億劫になるので半日寝てたりもする。・・・という状態だけを言うと“うつ”っぽいけれど、病気として定義されてる“うつ”には当てはまらないかもしれないので、漠然と“不安”ということにしておく。

それが、“なまけ”なのか“甘え”なのか“精神疾患”なのか“自由意志”なのか。もはや、名づけること自体が不毛なんじゃないかと思えてきたので、もう、これは“漠然とした不安”ということでいいと思う。

 *

・・・色々考えたけれど、Quangle Wangle Quee のようになりたい。
あれが理想だなぁ・・・。


ものごとの煩雑さに頭を痛めている人間Bの相談を受けたA。


「頭がいいっていうのは、適度に無視できる人だと思うんだ
 そういう人はみんな頭が良いと思うよ」

ようするに、これはこういう反感を買う。


「つまり、不必要なことに執拗にこだわり続ける人間は頭が悪い
 すなわち、私に対して“頭が悪い”と言いたかったわけだ」

Aが言ったことは、自身の経験上、自分自身がピンポイントで注目してしまう人間であることによる失敗談を語り、その要領の悪さや不甲斐なさを言うことで、そういった失敗を他人に繰り返して欲しくないという思いやりから発した言葉である。しかし、そこに「頭の良さ」――Aの定義する「頭の良さ」が引き合いに出されてしまう。それは、Bが自身のアイデンティティと定め唯一自信を持っている「頭の良さ」を否定するものでもあった。

「頭が良い」
Aの定義
→ 取り組んでいる物事について適度に省略できる。
  適当に判断し必要なことだけを行動できる。

Bの定義
→ 一つのことに注目し追求しつづけ、
  それについて自信をもって言う事ができる。


私は物事の問題について単純にAの定義でもって「頭が悪い」といって否定する人間は嫌いだ。前提を当てはめて解を求めて成否がつく問題ではないはずだ。たとえば、Aのような行動をとった人間が“省略する”にはそれなりの理由があって他に集中したいことのために無視をしたのかもしれない。人と仲良くしたいという優先的に集中したい目的があったら、社交的な発想以外は捨て置くだろう。

とはいえ、Bの定義は“頭が良い”といえるものかどうか。将来的に“頭が良い”といわれるか分からないけれど、この定義が“頭が良い”を示すものではないとも思える。どちらかといえば“こだわりを持っている”ということを言っているだけのような気もする。


・ ・ ・

つまり、何をどうすることが果たして自分にとって“頭が良い”ことなのかが分からない。

・ ・ ・

何かしらやりたいことがあったら、そのために色々なことを無視できるように思うのだけれど・・・。これがいまいちよく分かっていないままだと何も出来ない。

お金を稼ぐために、という理由だけだとモチベーションがもたない。
相対的な条件(相手が偉い人とか指導者とか)そういうことを勘定に入れることが出来ない。・・・たとえば、バイトで働き手として求められてきたのに仕事が出来るようになる指導をしてくれない場合とか、それで仕事が覚えられなかったりしたら、仕事に食いついていけるほどの気力がもたない。

人の指導を受けて生きていく事が出来ないんじゃないか、と思う。

・・・いや、余計な感情を介入させて投げ出されさえしなければ、必ず仕事は出来るようになると思うし、絶対に役に立つようになると思うけれど・・・私のほうでも相手について余計なことを考えて腹を立てるのはどっこいどっこいだとも思う。


・・・ここまできたら指導者なんて紙でいいよ、って思う。
指導者が仮に紙でも出来るような仕事なら私も出来るってことだな。
ははん!


(以上はおよそ3年ぐらい前の悩みをくり返した形である)


* * *

・・・仕事についてのアドバイスはいらない。
いま、仕事について何一つ考えたい事はないし、考えただけで死にたくなる。だから放っておいてほしい。今年一年はもう絶対働くことは考えない。考えても仕事に結びつける発想には至らない、というか、拒否してます。

今年度上半期発狂せずに済んだのはそのおかげです。

今年の2月頃に情緒不安定になって半そでワンピースで寒い中近所の広場で夜の10時ぐらいから子一時間、一人で熱唱したりステップを踏んだりしたのはいい思い出です。
他、去年の8月ぐらい一週間一言も発さないようにしようとか、2日間飲まず食わずで通そうと寝たきりで過ごして脱水おこしかけるとか、ろくなことがなかったので今年は本格的に休むつもりです。

・・・どうか、仕事と関連づいた悩みがあったとして何もアドバイスはいりません。ダメです。聞いたら死ぬかもしれません。


今年は派手な行動起こさずに安静に過ごしたいというのがたっての願いです。(そしていまだ病院には行った事がないというのが驚きです。誰も連れて行こうとしないし、私自身心から行きたいとは思っていないからです。)


・・・漠然と思うのは、あまり自力で生きようというつもりがないんだろうな、ということと、そこまで生きていたい世の中でもないかもしれないというのと、自分の存在そのものの必要性を社会において感じないということで・・・「自分から」やっていこうと思わない限りは、どれもこれも軌道に乗らないとしたら、太陽系ではないどこかべつの宇宙に旅立ちたいと心から思う。

なるほど、トウェインさん!(晩年)

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