2012/08/06 Category : 日常 ツ、イ、ラ、ク という題名の小説を読んだ。姫野カオルコ著。恋愛小説です。二次元界隈でも大人気の“中二”時代に事件を起してしまう一組のカップルの禁断の関係を中心に据えて、周辺の人物たちのことも交えながら“恋愛とはどんなものか?”を≪これでもか!!≫というぐらいみっちり書き綴っています。ので、誰でもどれかしらのパターンに当てはまるように思う。一般には露骨と受け取られるような表現にパッと見ドキドキしちゃうかも。 *姫野カオルコをはじめて読んだのは『ああ、懐かしの少女漫画』(講談社文庫)という、著者がブログに記してきた少女漫画についての思い出エピソードをまとめたものだった。帯書きには「知ってる漫画がひとつもない!」「それなのに、この感覚は――間違いなく、知っている!」とあるように、ほんとに知らない漫画ばかりだけれど、漫画の“思い出エピソード”としては親近感を覚えるところがいくつもある・・・のかなぁ? *恋愛ってなんだ?というのを追求している作品を読むと作者を否応なしに尊敬します。なにゆえ、それをテーマにしようと思えるのだろう、と。『ツ、イ、ラ、ク』は私の乏しい恋愛作品知識で判断すると“少女漫画だ!!”と思った。最後の大団円(でもないか)で締め括られる、座りのよさは「アリエスの乙女達」を思い出した。あんだけ色々あったけれど、最後はなんだか納得いく形におさまっていくという結末。納得させる展開をした作者の手腕なんだろうな、と思う一方で、読者の“そうなって欲しい”という欲望のために落ちるところに落ちるようにも思う。・・・どっちだろうね。 *「少年漫画のガールフレンドは、外見をかわいく描いて、あとは時々パンチラさせておけば事足りる、少年漫画のヒロインはフィジカルな存在である。」「少女漫画のボーイフレンドは大きく違う。即物的言動を少女は憎悪する。少女の、あくまでも「内面」への愛から発するセリフを言わせなくてはならない。プラトニックな存在である(少女化プラトニック)…ただし、プラトニックに見えるところのフィジカルでマテリアルな希望の体現としての存在である事が大半なのだが云々」と姫野カオルコは仰っている(著書が漫画評論の立場での発言ではないと但し書きがされてますので、個人の感覚として仰られているのだと思う)。なるほど。「プラトニックに見えるところのフィジカルでマテリアルな希望の体現」とは、やはり少女漫画に登場するボーイフレンドが“美男子”なことが極端な例のように思う。ところで、いつものノリで『わざぼー』トークになるのだけれど、この作品に少女漫画的なときめきを憶えた女性読者もたくさんいたと思う。そして、姫野カオルコのつぶやいたところの少女漫画のボーイフレンド像を髣髴させる、あの、むむ君の猛烈アタック!!たぶん、むむ君は少年漫画的男子というよりも少女漫画的男子なんじゃあないか。みみみの外見が魅力的だから「かなわねぇ」んじゃなくて、戦士としての心構えに「かなわねぇ」と言った。内面の美に惹かれたっぽい。その前提があって、手を握ったり、身体を張って守ったりという描写がされる=フィジカルでマテリアルな男としての実体が現れていくんですよね。まーさまのように突然やってきて“頭を撫でて”去っていくようなのは、少女漫画的には無頼漢に相当しただろうし、実際、そういうふうに読んだ少女も多かろう。「即物的言動を少女は憎悪する」から。――そういう男子もいいよねーという風によりどりみどりでウハウハになってる女子もいないこともないでしょうけれど。 *少女漫画エッセイというと横森理香『恋愛は少女マンガで教わった』(集英社文庫)というのも読んだ事がある。こちらは“少女マンガ”をはっきり架空幻想の類として割り切った視点で描いており、一般にはこっちのほうが共感しやすい内容ではないか、と勝手に想像している。これと比較してみると、姫野カオルコはロマンチストだ。著作上での性格かもしれないけれど。たしかに“少女マンガ”は架空幻想の類ではあるのだけれど、一方で何かしらの事柄を表現する媒体である。“恋愛”について描く場合が幻想的な“ロマン”で表現されたとしても、それは“恋愛”を言う上では常套手段であって、一種形式的な方法でもあるように思う。架空幻想というのではなくて、むしろ、“恋愛”の本質的なものが“ロマン”なのではないか。 *頭のほうに書いた“露骨な表現”というのは・・・まあ、なんだ。当人の体感なんだろうな。お互いに云々とか、相手が云々言うよりも。他者にフィジカルでマテリアルな希望を投げかけるよりも、自身のそういうった部分が“恋愛”においては要になっているというような発想だったようにも思う。(という風に考えれば、異性愛・同性愛の差別とも、果てはリアルか妄想かということとも関係なく“恋愛”を言う事ができるではないか!)そんな生々しい発想が、どうロマンチックなのか?というのは、自身の体感だけを中心に考える事が社会的には許されざることだろうから。ロマンとは絶対的に内向的な代物だと思う。 PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword