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@ゆりかごから墓場まで@

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断片的な

やりはじめ慎重にやっているうちは他者にとって受け容れやすい。
でも、慣れがくると楽をしようとする。こうなると受けが悪くなる。
だから、常に慎重さを抜いてはいけなくて、
不安定なままでいなくてはいけないらしい。

…… うんざり

 *

シンプルな絶望を示されてしまったので、げっそりした。

その、教化して、教化した状態になることこそ周囲にとっては望ましい。
だから、おべんきょした通り続けなさい。絶対慣れる。すると上手くいく。
こんなのウソだ。全体的にウソだ。

そもそも、慣れることができないからうんざりして嫌になるんだ。

 *

キリストの復活が、死んで3日で生き返るって言う展開は、
やっぱり笑いの種だったんだと思うんだ。トウェインさん。

トム・ソーヤーでもハックルベリー・フィンでも死体のない死のウソを笑った。死なないってことは、実体がないってことで、ちっとも本当ではないから気楽で面白い。

実のないことは面白いことだ。
実のないことなのに信じ続けるのはおかしいね。
ほんとにおかしいことばかりだけれどね。

 *

『ハックルベリー・フィンの冒険』のハックの父親の顛末はやるせない。
どうにもならない。そして、読者全般にとってはどうでもいい。
あの、ハックが女装する衣装を盗んだ、川を流れてきた売春宿の死体。
読者全般にとってはまったくどうでもよかったと思う。

 *

目の前にある幸せを見落とさないために、与えられるものに満足しよう…

そんなことが言える幸せをこそ見落とさないように。私には無理。
そもそも、その“幸せ”に“幸せ”を感じなければありがた迷惑だから。
嬉しいものは嬉しい。いらないものはいらない。
決めるのは当人であって、教化する人間ではない。
そして、教化する人間がふと言った事は大抵無責任な伝言ゲームを楽しんでいるだけで、言い聞かされた当人が思っているほど重要なこととは思っていない。そもそも教化しようという気持ちはさらさらない。

そこにふと落としたアイデアの一つ。拾っても拾わなくても良い。

ありがたいのはそれがアイデアであって、人間そのものではないということ。それが人間を定義するものであったらば、それ以上の絶望はないはずだから。

 *

断片をありがとう。
お話は自分で作ろう。それだけの自由だ。

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