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自分に見えていることだけで考える

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大変気分が盛り上がりましたm(_ _)m




基本的に「こういうこと思ってる人、書く人はいるだろう」という些末な例として、というスタンスは変わらない。こういうこと思っている人・書く人のことをみっともないという人は自身の同様の状態もみっともないと言って自分を追い込むタイプと思う。また、他人に指摘したからには自分はやらないというのは自由だけど、ほんの些末な個人の感情程度であって社会運動として大々的パフォーマンスでやってます、ということでもないんだから。人の目に留まるわけでもない社会の末端で発散の選択肢を狭めたっていいことないよ。

みっともないということはあるかもしれないけど、みっともないなりに精一杯生きようゼ!


※ 学校の授業で、重度知的障害の子どもをもつ母親の手記のようなものを読まされて日常の描写のあとに胸の内を詠んだ短歌が添えられているというものだったけれど、私はそれを「甘え」とか「自己陶酔」だと感じた。そうじゃないよね。私にはそう見えるんだけど、書いた本人はどうしても表現したかった気持ちなんだよね。共感できないことを見下してしまうのはよくないことだ。


みっともないこと自体を「ダメです・いりません・消えてください」と否定し排除しようとする意図での指摘をする場合はままあるという認識が私にありました。でも、そう直結させること自体がどうかしていたと思う。

どういう意図で言ったことかは知らないけれど、その方は私を否定しようとして言ったんじゃないということは絶対だったと思う。

もしかすると、みっともない状態から抜け出してほしい気持ちから言ったのかもしれない。でも、その方の主観で「みっともない」と映ったというだけのことで、それは世の中全体すべてにおける真実ではない。そして私自身みっともない気はこれっぽっちもなかった。

……マジ、ドンマイ案件だよ。尾を引くようなことじゃない。




相手に違和感を感じることはあることだし、思うことは悪だとか、言うことは禁止されるべきだとかも思わないけれど。相手にそれを直接指摘する意図は何だ。

《これは公正かつ絶対的な評価だから正しくない状態を矯正する気づきとなり、相手にとって必ず救いになる》というつもりで善意で言うのかもしれないけれど、言われた方は公正かつ絶対的な基準からの指摘などとは思ってないことのほうが多い。よほどの信頼関係がないとただ個人的感情での不快感の発露としか思えない。

不快感を告げられた場合どうしたらよいか。大抵の人は、他人から個人的感情によって行動の選択肢を狭めたり勝手に決定されたりしたら嫌だろう。相手に不快感を与えたらしいという罪悪感に加えて、自分の行動を制限されるんじゃないかという恐怖を覚える。しかし、一方で相手の行動を縛る可能性を考えて不快感を言えないのも大変具合の悪いことだ。

公正かつ絶対的なものなんてたぶんないんだけど、設定しておくと便利なんだよね。

仮に《相手の行動を制限する意図で不快感を告げるものだ》ということにしておくと、一緒にいたい相手には言うとか。一緒にいたい相手から言われたら止めるとか。やり続けて距離をおかれるのは仕方のないことだとか、納得しながら行動していくのに便利。

※ 不快感自体は個人の感情的なものの範疇で公正絶対の共通理解とかではない。

便利だけど、意図なく何気なく発言するのには邪魔。

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