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読む人のこと(3)

普段まともなコミュニケーションをしていない人は反対意見をぶつけられたときに困る。

ネットは、まともなコミュニケーションをしているかもしれない人が意見をぶつけてくる場合もあって、おそらく彼らはまともなコミュニケーションをしている人同士であれば通用する方法を用いているだろう。しかし、戸惑われる、うまく伝わっていないらしい。そういう反応を返されたとき、自分がまともなコミュニケーションをしていると自負している人は、妙な反応をした相手に〈異常〉とか〈劣等〉などのレッテルを張るのではないか、と普段まともなコミュニケーションをしていない私なんかはすごく怖い。確かに、まとまなコミュニケーションをしている人たち界隈では想定外の反応だろうし、彼ら基準からすれば〈異常〉以外にその人を示す言葉はないように思われる。

なんにせよ、互いに互いを不気味がっているのは同じだろう。未知との遭遇だ。


考えが合わない人からの「こういう考え方もあるから胸に留め置いてくれ」という期待や要求が込められたものの場合は〈胸に留め置く〉ことで相手の用件は完了するので、耳は痛いかもしれないけれど気持ちは楽だ。楽じゃないのは、「質問に答えてくれ」「改めよ」「禁止する」というこちらが相手の要求に対してそれなりの誠意を示す必要がある場合だ。

「質問に答えてくれ」というのは、もっと知りたい、興味がある、ということだ。質問に答えること自体が苦にならないならば、そこまで気を揉むものではないかもしれない。けれども、得た回答を利用して反対意見を補強し「改めよ」「禁止する」と要求を重ねてくる場合もある。それをされると結構悲しい。

「改めよ」「禁止する」は大体セットだけれど、その人基準やローカルルールを元に指摘してくる場合もあれば、社会的基準(法律)に依拠する場合もある。よく考える必要はある。相手は身を案じてくれてそのように言っているのかもしれない。

自己責任を全うする意志がある場合は、そう伝え続けるしかない。法律に背くような不正であったり、社会的規範を揺るがすような行いだったり、他人から嫌われるかもしれない、という自覚はあるが、やり続けるつもりだから放っておいてくれと。(それほど頑なな目的意識がなければ、考えてみたほうがいいことだろう)

それでも食い下がってくる場合は、身を案じているのではなくて、こちらに悪を見出して悔い改めさせようとか、殲滅しようという気分で意見を言っていると思われる。何を言っても平行線だ。

おそろしいのは、そのように言う人が〈まともなコミュニケーションをしていると自負している人〉の場合だ。彼には「まともである」という確信を持たせるコミュニティが背後に存在する。彼らのコミュニケーションの作法は仲間内で通用しているという実績がある。その実績とノウハウをもってして〈異常〉な者を振るい分けている。だから、まともなコミュニケーションをしていない人の意思表示はその人たちには通用せず、伝わることもなく、彼らからは意味不明とだけいわれる。内容に見合った価値を認められなかったり、気持ち悪いものと忌避されたりする。

そして、普通なら意味不明なものであるにも拘わらず、内容を汲み取った者は異常者の仲間とみなす。そのための踏み絵にされる。〈異常〉な者へ理解を示さないことが集団における普通であり、彼らの方法こそが常識なのだ。彼らは〈異常〉な者も自分たちのコミュニティの一員であるべきという思想があるため、普通で常識的な振る舞いをすることを求めて「改めよ」と言うし、どうにも一員と認めようもない異常で非常識な者が存在を現さないよう「禁止する」。


反論してくる人はどういうつもりで「改めよ」「禁止する」と言ってくるのだろう。彼自身の好き嫌い興味関心のままに個人の意見として言ってくるのか、それとも、背後にあるコミュニティにすべて人は所属するべきものであるからその一員として〈常識〉を諭そうとして言ってくるのか。

どんな未知との遭遇も一対一のやりとりならばいいのになぁ。

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