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@ゆりかごから墓場まで@

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読む人のこと(4)

「読んだ人」が〈ひとりごと〉として、「書いた人」のことを仲間内に吹聴する類の〈愚痴〉について。

〈ひとりごと〉される「書いた人の言ったこと」は「読んだ人」が書かれていたことから誘発された自身が抱えている問題のことがままあるので、「書いた人」が言ったことではないかもしれない。そして、たいていの場合そこに反論する形で決着をつけ、考えをまとめようとする。そういった〈ひとりごと〉を〈愚痴〉に聞いた人が「読んだ人」に寄り添ってその考えを肯定したとき、「書いた人」は彼らの間(仲間内)で評判を下げたような状態になる。

ただし、〈ひとりごと〉の〈愚痴〉では「書いた人」はいかなる要求も期待もされていない、「読んだ人」の抱える問題の依代でしかない。その内容はほぼ「書いた人」とは関係なくて、あるのは「読んだ人」が書かれていたことから誘発された自身が抱えている問題と向き合ったということなので、それはもう「読んだ人の言ったこと」の場合が多いんじゃないか。だから、仲間内で同意を集めているのは「読んだ人の言ったこと」(読んだ人が問題に決着をだした答え)のほうであって、「書いた人」の悪評のようなもの(「読んだ人」によって否定された問題点)のほうではないんじゃないか。

でも、その悪評が「読んだ人」の仲間内で「書いた人」についての共通認識になることはままある。そこには、勘違い、思い込み、押し付けの類が含まれていることもあるのに、体裁としては〈ひとりごと〉だから「書いた人」自身が直接耳にすることも、弁解するのも難しい。(そういう難しさを解消したのがツイッターなのかもしれなかった)

ブログなど公開記事にまつわる話に限らず、誰かの噂話は〈ひとりごと〉の〈愚痴〉を発端にすることがそれなりにあるような気がするので、噂される人物と愚痴を言った人のことは別々にして、愚痴を聞いたからにはその人が考えをまとめきったことへの肯定がされるのが、愚痴を言った人、聞いた人、話題にされた人それぞれにとって幸せなことのように思えるのだけれど。

(だって、愚痴は大抵考えが固まっているからアドバイスとか求めてない……。)

愚痴の肯定は、必ずしも愚痴にあらわれたその人の思想の肯定でなくて、愚痴を言った人が考えをまとめようとした行為への肯定という世間話の作法みたいなつもりでいたいものだけれど。……発言に共感を強く求めすぎてると上手くいかないね。ムムム。

そういう人だから、まともなコミュニケーションできないんだけどさ。

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