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@ゆりかごから墓場まで@

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読む人のこと(1)

ブログに書きつける目的も千差万別だろうけれど、限定公開にしない限り第三者が読みに来る可能性は捨てきれない。チキンレース感覚で「読みに来た人が現れて文句言ってきたら引き下がる」ような取り組みの人もいれば、「ほかの人の意見を聞きたい」から見えるところに置いてるって人もいる。あるいは、どうせ読む人はいないだろうし意見もいらない〈ひとりごと〉をしている場合など。

 ・ 第三者が読むことを想定している
 ・ 知人だけが読むことを想定している
 ・ 自分の考えの整理整頓のために書いてる

執筆者ごとに意識が違うのに、どれも「読める状態」になっている。

他人のブログを読む人っていうのは、どういうつもりで読むんだろう。
読後感に責任を求めるという受け身感覚の人がいる。ツイッターのタイムラインとかで流れてくるんでなければ強制的に「読まされる」ことにはなりづらい。そのブログがランキングやランダム表示されるサービスかなんかに登録されているとかいうことがない限りは、積極的な行動なくして辿りつかないように思うのだけれど。検索したとか、知人を辿ったとか。それでも「読まされた」という気分になるのだろうか。

逆に、「読む」ことにめちゃくちゃ自覚的かつ能動的で、見つけて辿りついた自分の功績とばかりに「発見した」という人もいるような気がする。

「読める状態」というのは、異文化が発達した新大陸か何かに似ているかもしれない。求めて「発見した」にしろ、迷い込んで「読まされた」にしろ、「読む」とは未知との遭遇だ。

「読んだ」ことで、どんな感想を持つのも個人の感覚によって違うだろうし。意見が出るというのはそういうことだし。ただ、持った感想をどうするか。書いた人間に伝えるか、胸にとどめるか、忘れるか。あるいは、書いてあったこと(書いた人間)を他人に言い広めるか。

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