「 猫を殺す話(berzebb) 」
猫の首が落ちている。
人通りの多い商店街の店と店の隙間を覗き込むと、ぽつりぽつりと落ちている。向こう側には隣の通りの建物の背中が見える。灰色の壁だ。壁にもたれかかるように首の山が出来ていた。
私は身体を横向きにして隙間に滑り込ませた。そのままカニ歩きで行く。道は狭いから落ちている猫の首をやむを得ず踏む事になる。それも右足と左足で二回ずつ踏む。避けようとしても別の首に当ってしまうのだから仕方が無い。
――かわいそうに。
――ごめんね、ごめんね。
謝りながら行ったところで踏むことに変わりはない。嫌ならば、こんな隙間に入り込まなければいい。
たぶん、私は猫の首が踏みたかった。だから、こんな隙間に入ったのだ。あの山を近くで見たかった。見たらどうするつもりだったのか。登るのか。……すると、私はいったい、いくつの首を、踏みしめる事になるのだろう。
私はそれだけの数の首を踏みたかったんだ。
間もなく山に着いた。山は私の腰ぐらいの高さがある。周辺はものすごい数の虫だ。手で振り払えばいくつも点の感触がして、何匹かは甲にとまる。息を吹きかけて飛ばしても、すぐに戻ってきて、貼りついた。
不快感はない。ここへ入り込んだということは、やはり、虫にとまられてもいいと思っていたからに違いない。
猫の山は上のものほど新しい。中腹は腐りかけのものや、その水分を吸った古いものとが混在している。早く骨になってしまいたくなるような哀れな色が溶けだして、膨張していた。
きっとひどいにおいのはずだ。
私には鼻がないからかまいはしない。だが、ここも商店街の一角なのだから、食品を扱う店はたまったものではないだろう。けれども、あの大通りを行く人たちは誰一人においを感じている様子がなかった。第一、私がこの隙間を発見したとき、周りの人間は何事もないかのように通り過ぎていった。隙間を凝視する私をいぶかしげに見る者はいても、同じように立ち止まって見る人はいなかった。
私だけがこの首の山を見たかった。だから見ている。
私だけがこの首を踏みたかった。だから踏んでいる。
きっと、そういう事だ。でも、見るのと違ってにおいなら嫌でも鼻に入るものではないのか? それでも彼らは気にならないというのか? 案外においはしないのだろうか? 私には鼻がないから良く分からないけれど、これもきっと、こういう事なのだろう。
誰もにおいを嗅ぎたくない。だから気が付かない。
しかし、やはり気になる。猫の首が山を形成するほど積みあがっている。なぜ、こんなことになってしまったのか。よくよく見てみよう、と、山のてっぺんにあった首を手に持った。回しながら眺めると首の切断面は美しく平らで、刺身のようになめらかだった。わざわざ切れ味の良い刃物を準備しておく犯人の周到さにぞっとなった。世の中にはひどい奴がいるものだ。――そうは言っても、自分の足の裏のことを考えると人のことは言えまい。
死骸はガラスのような眼をまん丸に見開いたままだ。緑色と茶色が混じった絶妙な色の中央で、瞳孔は大きく広がっている。周囲の光を吸い込みつくしてしまいそうにも思える闇は、存外に底が見える。角度をつけると奥の方が反射して光る。私はしばらく、その仕組みの不思議さで遊んでいた。
別の首も見たくなった。てっぺんよりはやや下のほうで留まっているもので、綺麗なのが一つ目についた。毛並みは生前のままになめらかで、死後、それほど日も経っていないとは思われる。こちらの死骸は瞼を閉じていた。安らかに眠ったような顔のこちらの首も持ち上げる。この首は、他の首に重みを預けていたところが凹んで、いびつな形になっていた。肉も皮膚もすでに弾力を失っており、そのまま硬直したらしい。
わたしは歪んだ首を元の場所に戻した。先に持った方の首はまだ弾力があるらしく丸い形を保っている。せっかくだから綺麗な形で固めてあげよう、と思いついて、山の横のすこし開けたところに切り口を下にして置いてやった。猫の首はまるで生き埋めにされて地面から突き出しているように見えた。
そうして、やっと念願だった山登りをしようと思った。そうだ、私がここへ来たのは、この首の山を踏みしめるためだったのである。周囲に浮かぶハエたちの羽音が、うんうん、と返事をして、賛成する声のように聞こえた。私は問いかける。
――折角だし、昇ってみてもいいよね。
――うん、うん。
ハエはいまや私のよき理解者のように周りを飛び交っている。私を励ます仲間。クルクル回ったり、顔や腕にとまったりして声援を送っている。そんな気がする。
私は一歩踏み出して、山に足をかけた。変な感触だ。泥の塊を踏んだような。体重をかけるともろもろと潰れるような感触がした――かと思えば、ほとんど頭蓋骨だから硬い。今度は石を踏んだような感触だ。硬いもの同士がぶつかり合う軋みが足の裏から伝わってくる。つまり、重なりあった頭と頭がみしみしと音を立てて私の踏みしめる力に反発しているのだ。
少しずつ昇る。たいした高さじゃない。すぐにてっぺんに立てると思っていた――けれど、この山が足場としてどれほど丈夫かといえば、実に頼りない! 頭と頭は最後の抗議の力を振り絞り、共謀して、雪崩のように崩れた。建物の壁で形成されたT字の隙間の三方向に頭が転がる。私がさきほど地面に置いた首は巻き込まれて、もうどれだかわからない。
私は通ってきた道のほうへ転びそうになったが、何とか前のめりに態勢をたてなおして前方の壁に手を突いた。首の上にしりもちを突かなくてよかった。罪深いのは足の裏だけで十分だ。
ふと、視線をおろせば、壁に突っ張る私の両腕の間から、転がらなかった下のほうの首、湿り気を帯びて腐りかけの首たちが、未だ低い丘を形成したままだ。今の衝撃で皮膚と肉がズル剥けて白骨があらわになったものがいくつもあった。雪崩が起きて間もないというのに、蝿はすでにこれらの首にたかっている。なんという俊敏さ!! 蝿はこれを期待していたんだ。
蝿の唸り声の意味を知って、がっかりした。彼らはこれから念願果たそうと意気込む私を無心に応援していたわけではなく、自分達の利益のために私を応援するフリをしていたんだ。私のためではなく、自身らのために!!
浅ましい虫。
私はこの虫たちが嫌いになったので意地悪をしたくなった。表面に黒い点がうごめく塊を思い切り蹴り上げた。虫は一気に飛び上がり、白骨がふわりと浮きあがる。虫はすぐ戻ってこようとしたが、そんな隙を与えずに、掴み取って、商店街の通りに向けて放り投げた。
私は、あまり運動が出来るほうではない。けれど、そのときは偶然、上手い具合にいったらしい。狭い隙間を飛んでいく。地面に落ちても勢いはとまらない。首はたくさんの人通りの中に転がり出て行った。「ぎゃ!」と小さな悲鳴が聞こえ、ざわざわと声がして、私のいるところにもその不穏な空気は漂ってきた。
誰かが隙間を覗き込んだ。私を見た。
猫の首に囲まれて、その中心の小高い山に片足をかけて立っている。周りに蝿が飛び交い、空中に浮かぶ斑点模様を纏っている――私を見ている!
目が合って、私は逃げなければいけない気がした。私がこれだけの猫を殺した、と思われるだろう。私は猫の首を踏みたかっただけなのに。殺したいとは思っていなかったのに。殺したと思われるなんて! 私は頭のおかしな人間として掴まって、報道されて、どこかへ押し込められてしまうんだ!
……嘘だ。
そんなことあってはならない。
嫌だ! 嫌だ! 逃げなくては――
店の壁と壁の間からたくさんの人間の首が伸びて私を見た。誰一人としてこちらに来ようとはしない。こちらを見た後に地面を見て、それから首を引っ込める。すると別の首が伸びて、こちらを見て、また引っ込む。変わるがわるいくつもの首が伸びては引っ込むを繰り返していた。そんなことをぼんやり観察している場合ではなく、私は逃げ道を探さなくてはいけないのに。
一言弁明の言葉を叫ぼうかとも思った。
――違う。
――私がやったんじゃない。
私の気持ちは一言では言い表せなかった。
ああ。口を開けば蝿が中へ入ってくるだろう。さっきから、瞬きしなければ目の中に入ってきそうなほどで、まぶたを閉じるたびに睫毛に当る。私の身体にとまっては飛んでいくのを繰り返す。
ふと、足元を見れば、同じことを猫にもやっている。猫の首も、私も、蝿にとっては同じようなものなのだろう。……もし、あの時、私が首の山を登りきることができて、頂上に立っていたら……。きっと、新しく積みあがった猫の首だ、と思ったに違いない。
突然蝿が怖くなった。
私を骨にする。
骨にされる。
私は猫の首なんかじゃない。
屍骸ではないのに――
上から何かが落ちてきて私の頭に当った。
堅い衝撃の直後に生暖かいものが滴ってきた。
猫の首だ。
* * * *
音読してほしい! というつもりで書きました。果たして、どういう書き方をするのが音読に適しているか、とか一度も考えたこともないくせに軽い思い付きの要求だけが先走ってました。反省。
一応ことわっておく。自分の文章は動物を傷つけるような内容のものがそこそこいっぱいあるけれども、別に実際そうしたいわけではない。その動物を一種のイメージとして用いてはいるものの、そのように召喚した動物は空想上の不自然な存在であって、現実のその動物とは別物だ。
「クリエイティブな鳥」と題名をつけた詩で、つぎはぎのカラスはボロ雑巾だと言ってはいるものの、本来カラスはボロ雑巾ではないので、カラスをボロ雑巾として扱っていいとはもちろん微塵もこれっぽっちも思っていない。(そもそも、色んな鳥の羽を身に纏うカラス自体はイソップあたりが言ってたやつだ。)
あくまで、創作上の比喩として言ってるだけで、ブリキバケツにカラスの血を絞って良いとは思っていない。むしろ、そんなことしたらダメだと思う。ゲロに投げ込んでもいけません。……というわけなので、どんなにむしゃくしゃしていても、思いつきで猫やその他のいきものに向けて無暗やたらに虐待行為が行われた、そんなニュースは、私はとても悲しいです。