2017/06/25 Category : 憶測*はったり 《幼女》のこと【1】――聖ロザリンド これは《幼女》についての私の勝手なイメージです。《幼女》というと、小さな体格とそれ相応の力、つまり筋肉量に比例する力はあまりないことが想像される。幼く経験が浅いゆえの知識不足や非力ゆえの必死さから目的を達成するために《容赦しない/加減がない》(大胆ともいえる)行動に結びつく。また《幼女》は庇護を必要とする。庇護者への信頼から(あるいは信頼を得るために)言いつけに対して従順である一方、それが信頼しなければならない言いつけであるために、いかなる状況においても自己判断によって守るか否かを決定することをしない(あるいは、できない)。《教条主義的》と言える。【お断り】● 現実の幼女と言われる年代の女性を観測して、その実態について言った内容ではありません。● 創作物に登場する《幼女》として描かれる人物の表象のなかでも私個人が観測した範囲での認識かつ、恣意的に取捨選択した情報のみに絞って言及しています。● まともな研究とかではありません。大分いい加減な話ですが、ご興味があれば以下よりわたなべまさこ『聖ロザリンド』 の話をしています。 =続きを読む= PR
2017/01/03 Category : 日常 あけましておめでとうございます どうしてもヴィリジアンが描きたかった…昨年はだいたいお腹を壊していて、寒くなる季節に一層ひどくなりました。相対的にはさほどではないのかもしれないけれど自分的にはしんどかったので、「その程度で」とか、「わたしなんかもっと」とか、人の感想をたたき台にして自分語りしたい系の人の言葉は精神的によろしくありません。ぜひとも余裕のある人同士で互いのがんばりっぷりマウンティング合戦がんばって頂上は君だ! 間違いない! よっ 先輩風! 自分の人生ぶんだけの見識で世の中全部の希望を吹っ飛ばすこの威力!流石、天下の苦労人! えらいっ!!……そういうのほんともうコリゴリなので、心の広い人間になりたいなーと思いました。しんどかったです。ここ5年間ぐらい健康診断してないので、今年はまず健康診断したいです。果たして健康体なのか、なんか病気に罹ってたりするのか不安すぎます。長く描いてなくてヴィリジアンがやっつけになったのが悔しいから以前ぐらいの集中力を取り戻したいと思った。確実に脳の機能がアレしてる。ということで、いましばらく愚痴のような記事をぽつぽつと書くことになるでしょう。とりま、なんか悪口臭いこと言ってたとしても特定個人へのものではないです。自分が嫌なこととか、気になることとかについて考えたことを書きだしてるだけですんで、だいたいは私自身の落ち着いて対応できない類のこととか、自分の行動パターンとかだったりするので、当てはまる人もいるかもしれないけれど、「結局これって書いてる人間自身のこと言ってるだけ」って、呪文を唱えれば、このブログ書いてる人とわたしは違う個人だ、と思い出せると思います。自他の境界が曖昧な状態ってめっちゃ危険だからね!もしも、ここの文章を読んで不愉快になったとしても、あなたはここに書かれてる人ではないですから、どうぞ安心して下さいませ。今年一年、みなさんが健康でありますように!
2016/09/21 Category : 憶測*はったり 拒否を受け入れてくれない場合のメモ 拒否を受け入れてくれない状態とは、相手が明確な拒否の態度を示しているにもかかわらず、言葉づかい・言い方・仕草をとりあげて揶揄したり、自分の都合に合わせて発信の意図を歪曲したり、態度自体を取り合わなかったり、話題がそこへ至るまでの文脈を破棄して別の話題にすり替えたり(ex.「真っ赤になってて笑える」「言い方が色っぽくて魅力を感じる」「声がうるさいから聞く気なくした」「そのたとえ話に出てくるクッキーおいしいよね」)して、拒否を示したこと自体を無視する。あるいは、無視しなかったとしても自分側の都合を言って往生際悪く受け入れさせようとする。このように、相手の拒否は受け入れないが、自分の拒否は受け入れられるべきであるとして、拒否を拒否で返したりする。 ・ 相手の拒否を受け入れないことが常態化している人 ・ 特定の相手(属性、個人)の拒否を受け入れない人は、自分の言動はまかり通るべきものだと思っており、自身の感情に基づくものを「正義」、「人権」、「純粋な/素直な/正直な気持ち」などの言葉に言い換えて不可侵の絶対的なものであるかのようにいう。社会的な折り合いのつけ方として、気にくわない思想を悪魔化して、見下す・罰する・排除する、という他者へ向けたアクションをとる場合もあれば、意見の対立について誰もが「正義」※ を持つとして、「正義同士のぶつかり合い」→「間違っている者は誰もいない」→「戦争は避けられない」という衝突の不可避を唱え、「戦争万歳」とばかりに決着をつける場※ として安易に肯定したり、「すべてを受け入れる聖人」「誰にでも認められる思想」など全知全能の八方美人をこの上なく正しいものと定めてそれを志向したり、独特の思想を形成する場合もある。※ 前出の「人権」「純粋さ」「素直さ」「正直さ」と言い換えられる。※ つまり、必ず一方が他方の正義において悪として葬り去られるべきとする。 周辺にある問題との兼ね合いよりも、ただ個人の感情に基づいて決着をつけたい いかなるイデオロギーをも腕力で押し通すのが強者であり、強者こそが正義という理屈。自分が認めるもの以外認めないという明確な排他性を示すにしろ、「すべてを受け入れる」「誰にでも認められる」と体面の良い言い回しを選んでいたとしても、相手の拒否を受け入れたがらないので自分の理解を超える他者の言い分は基本的に右から左へ聞き流して、自分の意見を優先する。拒否されようとひたすらぶちこんでくる。相手が拒否を受け入れそうにないときは、会話は成立しないので意見の出し合いになる。意思疎通を目指すのは得策とはいえない。逃げるか、立ち去るのを待つか、蹴散らすかは当初の「拒否」を貫く態度として自信のあるやり方で対処しよう。コツとして「拒否を受け入れない」人のこちらに対する人格批判や評価は一方的な押し付けなので流すこと。実りある殴り合いを。
2016/09/15 Category : 創作*詩*小説 すっからかん! 「きれい好き」落っこちていた箱の中身は 誰かが集めた たからものこれ これは こ これはコ・レ・ク・ショ・ン・ボッ・クスだって 蓋に書いてあるものすごいな きれいな 宝石みたいざらざら 色々 ガラスの破片に考古学的な想像力が刺激されまるで 専門家きどりで頭の中で ころころ転がしてみたよ―― あれあれこれって こわれもの単なる割れたガラスじゃない?ショック 世紀の大発見コレハゴミデス! ゴミバコデス!持ち主のチグハグさを貼り合わせることはできなくて形をなさない 雑な手仕事無意味で役立たずの世間の邪魔者こんなゴミばっかりをさも素晴らしいもののように箱に納めているなんてあたまがおかしいんじゃないの?箱を人目につくところに置いたらみんなで楽しい品評会 「これはゴミ箱です」 「おかしな いらない ゴミばかり」 「ほんとに ゴミしかはいってない」 「ゴミを集めたやつはおかしい」 「いらない ゴミのようなやつだ」落っこちていた箱の中身は 誰かが集めた たからものこれは これは コレクションボックスだって蓋に書いてあるものそれでも みんなは口々に「ゴミ箱」 と言って笑うのでやはり つまらない箱だったのだろう と専門家きどりで 断言してみる結論は――コレクションはただのゴミであり有意のものとは言い難く ゆえに箱の持ち主はくだらない人物である一方であらゆる手を尽くした 私自身の豊かな想像力は評価すべきだ されるべきだ(貼り合わせることはできなくて(形をなさない 雑な手仕事(無意味で 役立たずの ・・・それはいったい誰のこと?なにをおっしゃる! わたしはゴミは集めませんベストセラーの日用品を箱に詰めて重宝してます生活の知恵 無駄のなさ 理にかなった快適さ絶対満足の品ぞろえそれらは確実に使い切ってしまうので箱の中身はいつでも 空っぽになるというわけですわたしは とっても きれい好きだから割れたガラスの破片が きらりと光っていても絶対たからものなんかにしないんだからね! =手直し前のやつ=
2016/09/04 Category : ないようがないような 読む人のこと(5) 共通認識こそが〈常識〉で〈普通〉の感性とする仲間内では共通認識以外の認識は〈非常識〉で〈異常〉な感性とされるため、それを集団内で表明するのは難しい。集団における空気が一定方向に流れているとき個々の感性でものを言うのを避ける傾向は、異常で非常識な者が存在を現さないよう排除あるいは抹殺するための「禁止」を自主規制として行っている。集団の常識を肯定する態度を示しておけば、集団から消されることはない。賛同してくれる仲間を多く集める利点は、自身の感性が集団における〈常識〉に従うものであることを補強できること、また、それによって〈普通〉を定めて〈異常〉を選別し排除できることにあるように思えてならない。それは覇権だ。集団における常識を肯定したい、肯定される常識的な発言をしたい、普通になりたいという欲求のために発言すること(=共感を求めること)は、覇権を握りたいという願望のような気がする。……や、集団に属したい人の誰もがそうではないでしょうが。*《影響力があるから「改めよ」「禁止する」》ってなんだろうか。これは、個人の発言が他を牽引する力をもつということが前提になければでてこない発想だ。強大な覇者は、共感を多く集めている、支持者が多い、集団(支持者)の価値基準について一定の方向付けができるように見える。しかし、それは集団が共感と言う形で特定の人物に権力を与える(認める)類のものだ。共感を集めることができれば誰だって覇権を握ることができるのだ。そして、共感できる、できない(権力を認める、認めない)を判断するのだって本来なら個人の勝手である。にも拘らず、他人(とりわけ、覇者と目した人物)の影響力云々いうのは《とりあえず、その集団から消されたくないという気持ち》だったり、《自身の覇権を握りたい願望のためその人物を同一視》したりという、判断を個人において行わなかったときに生じる問題のように思う。《影響力があるから「改めよ」「禁止する」》というのは、自身が個人として判断せずにその集団の一員であろうとしていたとき、集団が向いている(と想定している)方向と異なる自分自身のズレが顔を出した時の反応のように思える(※)。《共感することを抑圧と感じて、個人の意思・思想が発露した場合》や、《共感することで得ている同一視であるから共感できないことをされると同一視できなくなって困る》というようなことではないか。※ このとき一定数が声を揃えれば、新たな集団として団結してより居心地の良い集団に所属するきっかけになる、ということもなくはない。それはそれでハッピーだ。*たぶん、まともなコミュニケーション、あるいは充実したコミュニケーションができる人と言うのは嫌でも集団に所属しなきゃっていう被害妄想っぽい強迫観念とか、絶対にその集団で覇者になる! という誇大妄想的野心とかは持っていない。集団帰属のための意図的な共感をするために神経すり減らしてない。もっと身勝手に共感したりしなかったり、楽に構えて発言しているんじゃなかろうか。どんな思想を持つかも、他人に共感するかどうかも個人が判断して決定するものだし。思想に共感されるかどうかは運みたいなものだし。共感できないという人から悪評を広められるかどうかも運みたいなものだし。そんな運みたいなもののために、思想を改めるか、発言を自粛するかどうかを判断するのも自分だし。……書く人も、読む人も、自分の好きなようにすればいいんだよ!