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@ゆりかごから墓場まで@

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2018年はじめのごあいさつ



年明けたら、新年ごあいさつしないと新規記事を書くわけにはいかない! みたいな

自分ルールあるのですが、なんも絵を描けなくてズルズルしてたら3月です。

春ですね。あたたかくなりそうな兆しはあるのか、ないのか……

ひとまず、今年もがんばっていきましょう~ 9”

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国会図書館へ行ってきました。


 ・ 《幼女》のこと【1】――聖ロザリンド


への拍手ありがとうございました。m(_ _)m



あまりにブログを放置しているので日記を書こう……



先日、国会図書館にはじめて行きました。
なぜ学生の頃に行かなかったのでしょう? それは手近なところで済んだからです。(手近な感じの内容のことしかやってないということです)

永田町にある国会図書館を利用するには、《利用者登録》をして《登録利用者カード》を受け取らなければなりません。はじめての利用の場合、すぐにでも本を読みたいと勇んで行っても入場するまでの手続きの色々が煩わしく、くたびれてしまうようなことがあるかもしれません。

※ 混雑状況にもよります

そんなときは図書館に行く前に郵送で登録を済ませておきましょう、と国会図書館はHPで勧めています。書類を送ってから1週間程度で返事がきました。(添付する返送用の定型封筒長3のほうが良いみたい)


書類に不備があると切手と封筒と時間が
倍かかることになるので気をつけてね!


……2週間の時間を費やして送られてきた利用者登録証(IDとパスワードが書かれている)を持って図書館へ行きましょう。新館へ入りましょう。案内のかたの指示に従って、その場で記入する紙・本人確認できるもの・利用者登録証を持って登録カウンターへ行くと、いよいよ《登録利用者カード》が受け取れます。

《登録利用者カード》と《パスワード》がないと資料の閲覧も複写もできません。ほぼ何もできなくなります。カードもパスワードも絶対になくさないようにしましょう。

(遺失物受付には大変お世話になりました)



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あけましておめでとうございます

どうしてもヴィリジアンが描きたかった…

昨年はだいたいお腹を壊していて、寒くなる季節に一層ひどくなりました。
相対的にはさほどではないのかもしれないけれど自分的にはしんどかったので、
「その程度で」とか、「わたしなんかもっと」とか、
人の感想をたたき台にして自分語りしたい系の人の言葉は精神的によろしくありません。

ぜひとも余裕のある人同士で互いのがんばりっぷりマウンティング合戦がんばって
頂上は君だ! 間違いない! 
よっ 先輩風! 自分の人生ぶんだけの見識で
世の中全部の希望を吹っ飛ばすこの威力!
流石、天下の苦労人! えらいっ!!



……そういうのほんともうコリゴリなので、
心の広い人間になりたいなーと思いました。しんどかったです。

ここ5年間ぐらい健康診断してないので、今年はまず健康診断したいです。
果たして健康体なのか、なんか病気に罹ってたりするのか不安すぎます。

長く描いてなくてヴィリジアンがやっつけになったのが悔しいから
以前ぐらいの集中力を取り戻したいと思った。確実に脳の機能がアレしてる。

ということで、いましばらく愚痴のような記事をぽつぽつと書くことになるでしょう。
とりま、なんか悪口臭いこと言ってたとしても特定個人へのものではないです。

自分が嫌なこととか、気になることとかについて考えたことを書きだしてるだけですんで、だいたいは私自身の落ち着いて対応できない類のこととか、自分の行動パターンとかだったりするので、当てはまる人もいるかもしれないけれど、「結局これって書いてる人間自身のこと言ってるだけ」って、呪文を唱えれば、このブログ書いてる人とわたしは違う個人だ、と思い出せると思います。自他の境界が曖昧な状態ってめっちゃ危険だからね!

もしも、ここの文章を読んで不愉快になったとしても、
あなたはここに書かれてる人ではないですから、どうぞ安心して下さいませ。



今年一年、みなさんが健康でありますように!



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流せばいい話

私は他人の主観で自分のことをどうこう評価されるのが嫌いなので、「痩せたねー」「雰囲気落ち着いたねー」「進化したねー」みたいなたぶん善意と褒め言葉のつもりで言っているであろう《過去と比べて改善されましたね系》のごあいさつは余計なお世話だと思う。「今まではあなたのお眼鏡にかなわず申し訳ございませんでした」とへそ曲げたくなるんだけれど。ようするに、それしか振る話題がないってことでしょうね。そういうつまらない人間だということは肝に銘じておこうと思った。

なぜ痩せたのか、なぜ雰囲気が落ち着いたのか、なぜ進化したのか。久しぶりに会った人間から言われるならば、そこへ至る過程を類推させるような話題を選んで返答すればよい。

しかし、そうじゃない日頃よく話すような人から言われる場合はどうすればいいのだろう。漫画とかで主人公を近くで見守る立場のキャラクターが唐突に投げかける言葉にもありがちと思うけれど。これは読者に主人公が成長しているということを確認するために言わせている台詞で、読者の読み方(理解)を制御するためのものだ。もしかすると読者はこれまでの文脈が強くなる過程として描いたものとは理解しておらず、主人公は相変わらずいつも通りに強いなぁとか思ってるかもしれないので、「相変わらず強いんじゃない。これまでの積み重ねによってどんどん強くなっているんだ!」と物語が表現していることを説明している。

わざわざ言葉で説明しないと理解させられない作者の表現力不足とかではなくて、言葉で説明しないと好き勝手に解釈できてしまう表現手法ゆえに読者にわかりやすく伝えるための言葉だ。

そういう言葉を受けて、たいていの主人公は「へへへ、そっかなぁ?」と自身の成長を確認して喜ぶようなやり取りで和やかにやりすごすが、あれは茶番だ。成長したということを伝えたい文脈において「うるさい! 俺様はいつもどおりやっただけだ……黙れど素人が! 死ねぇーーー!」とか言って仲間キャラクター同士での紛争が起きてしまい本来目的にしていた悪魔怪人との最終決着のことは忘却の彼方へ。仲直りをさせなければならない……みたいなことになったら話の流れが止まってしまう。そういう展開をさせることで悪魔怪人との決戦をより盛り上げるつもりがないのならテンポよく悪魔怪人との決戦に向かわせるべきだ。だから、用件が済むように余計なことはせずに流すのである。

日常会話で日頃やり取りしている相手から突然言われたときどうしたらいいのかがわからないし、どういう気分になればいいのかも分からない。「髪の毛切ったねー」みたいな急激な変化なら茶番の準備もあるけれど。

一体どうして一区切りつけて解説的に成長あるいは変化を確認せねばならないのだろう。私がいないところで話を作るための情報収集だろうか。でも、私はいつもどおりの一杯一杯で動いてるだけで自覚ないから自分でもわからないことは説明のしようがない。ますますの発展にご期待ください、とか宣言するのも今までの自分を不本意に矮小化するようで気持ち悪い。(相手が縦のつながりで言ったら目上の人なら空気読むけど、横のつながりの相手に対して卑下する気持ちにはなれない)

こんなクドクド書かないでも《過去と比べて改善されましたね系》の褒め言葉は私にとっては言われてうれしいことではない、ってだけの話だけれど。


……うん。
つまらない人間なりに一生懸命生きよう。

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自分に見えていることだけで考える

1個前の記事に拍手してくれた方
大変気分が盛り上がりましたm(_ _)m




基本的に「こういうこと思ってる人、書く人はいるだろう」という些末な例として、というスタンスは変わらない。こういうこと思っている人・書く人のことをみっともないという人は自身の同様の状態もみっともないと言って自分を追い込むタイプと思う。また、他人に指摘したからには自分はやらないというのは自由だけど、ほんの些末な個人の感情程度であって社会運動として大々的パフォーマンスでやってます、ということでもないんだから。人の目に留まるわけでもない社会の末端で発散の選択肢を狭めたっていいことないよ。

みっともないということはあるかもしれないけど、みっともないなりに精一杯生きようゼ!


※ 学校の授業で、重度知的障害の子どもをもつ母親の手記のようなものを読まされて日常の描写のあとに胸の内を詠んだ短歌が添えられているというものだったけれど、私はそれを「甘え」とか「自己陶酔」だと感じた。そうじゃないよね。私にはそう見えるんだけど、書いた本人はどうしても表現したかった気持ちなんだよね。共感できないことを見下してしまうのはよくないことだ。


みっともないこと自体を「ダメです・いりません・消えてください」と否定し排除しようとする意図での指摘をする場合はままあるという認識が私にありました。でも、そう直結させること自体がどうかしていたと思う。

どういう意図で言ったことかは知らないけれど、その方は私を否定しようとして言ったんじゃないということは絶対だったと思う。

もしかすると、みっともない状態から抜け出してほしい気持ちから言ったのかもしれない。でも、その方の主観で「みっともない」と映ったというだけのことで、それは世の中全体すべてにおける真実ではない。そして私自身みっともない気はこれっぽっちもなかった。

……マジ、ドンマイ案件だよ。尾を引くようなことじゃない。




相手に違和感を感じることはあることだし、思うことは悪だとか、言うことは禁止されるべきだとかも思わないけれど。相手にそれを直接指摘する意図は何だ。

《これは公正かつ絶対的な評価だから正しくない状態を矯正する気づきとなり、相手にとって必ず救いになる》というつもりで善意で言うのかもしれないけれど、言われた方は公正かつ絶対的な基準からの指摘などとは思ってないことのほうが多い。よほどの信頼関係がないとただ個人的感情での不快感の発露としか思えない。

不快感を告げられた場合どうしたらよいか。大抵の人は、他人から個人的感情によって行動の選択肢を狭めたり勝手に決定されたりしたら嫌だろう。相手に不快感を与えたらしいという罪悪感に加えて、自分の行動を制限されるんじゃないかという恐怖を覚える。しかし、一方で相手の行動を縛る可能性を考えて不快感を言えないのも大変具合の悪いことだ。

公正かつ絶対的なものなんてたぶんないんだけど、設定しておくと便利なんだよね。

仮に《相手の行動を制限する意図で不快感を告げるものだ》ということにしておくと、一緒にいたい相手には言うとか。一緒にいたい相手から言われたら止めるとか。やり続けて距離をおかれるのは仕方のないことだとか、納得しながら行動していくのに便利。

※ 不快感自体は個人の感情的なものの範疇で公正絶対の共通理解とかではない。

便利だけど、意図なく何気なく発言するのには邪魔。

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