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@ゆりかごから墓場まで@

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んー……

文章が書けない! なんだろう。何も書くことがない。
書きたいと思えないし、今まで書いたことも面白くない。
もっというと全体的に見えてるものが面白く思えない。
面白いものがこの世にないように思える。どうしよう……

カウンセリングの影響なのかもしれないけれど、
創作意欲がなくなったというのとは別で、なんていうか、


面白いって何か? がわからなくなりました…… うわー。うわー。


 *

どうせ話し合いに使うから夢の話でもまとめておこう。


● ファミレスに行った夢。

 中学の友人4人と高校の友人幾人かで集まっている。対面で2対2で座る4人掛けの机を2つ並べた席はすべて椅子席でソファ席はない(だから席を立ちやすいし、椅子も増やしやすい)。横並びの方向から見て、私は机の左端に座っている。正面にN。私から見たその右隣にT、机の切れ目があってA、さらにその隣が誰かわからないが高校の友人だと思う。私の右隣にはH。その奥にいるはずの2人はやっぱりわからない。どうやら、左隅にいる私を中学の友人が囲み、高校の友人がいるという席順らしい。わたしの左側のお誕生日席―― 机の側面のスペースに椅子はなかったが、反対側のおなじ位置には誰かいるのかもしれない。なので、この集まりには私をいれて8人か9人が机を囲んでいたことになる。



 全員注文するメニューを選んでいた。途中でTが何かの理由で退出することになり、空いたTの席にNがずれる。とたんにNとZはメニューを共有し何か談笑をはじめる。それに聞き耳を立てながら私は楽しい気持ちになった。NとZはメニュー写真と料理の名前についてやや拡大解釈を含めた冗談を言って盛り上がっており、食事を選ぼうとしているようではなかった。
 まもなく、店員が注文を聞きに来る。私が「担担麺」を注文すると間髪入れずにNとAも同じものを頼む。示し合わせたわけでもないのに気が合うね、と盛り上がっている私たち3人を制すようにHが「野菜サラダ」を注文する。食事を食べに来たのにサラダしか注文しないのかよー、と3人でHに総ツッコミをいれる。Hはクールに対応する。
 このやり取りに加わっていない高校の友人らが何を注文したかはわからない。

 料理を待っていると、いつの間にか、私の左側の机側面に椅子が増えてVの父親が座っていた。Vの父親は、Vが母親と揉めているがもうしばらくしたら来られる、と伝えに来た。


 * 

目が覚めて、「私にとって面白いとか楽しいって何だったんだろう」と思った。

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断片的な

やりはじめ慎重にやっているうちは他者にとって受け容れやすい。
でも、慣れがくると楽をしようとする。こうなると受けが悪くなる。
だから、常に慎重さを抜いてはいけなくて、
不安定なままでいなくてはいけないらしい。

…… うんざり

 *

シンプルな絶望を示されてしまったので、げっそりした。

その、教化して、教化した状態になることこそ周囲にとっては望ましい。
だから、おべんきょした通り続けなさい。絶対慣れる。すると上手くいく。
こんなのウソだ。全体的にウソだ。

そもそも、慣れることができないからうんざりして嫌になるんだ。

 *

キリストの復活が、死んで3日で生き返るって言う展開は、
やっぱり笑いの種だったんだと思うんだ。トウェインさん。

トム・ソーヤーでもハックルベリー・フィンでも死体のない死のウソを笑った。死なないってことは、実体がないってことで、ちっとも本当ではないから気楽で面白い。

実のないことは面白いことだ。
実のないことなのに信じ続けるのはおかしいね。
ほんとにおかしいことばかりだけれどね。

 *

『ハックルベリー・フィンの冒険』のハックの父親の顛末はやるせない。
どうにもならない。そして、読者全般にとってはどうでもいい。
あの、ハックが女装する衣装を盗んだ、川を流れてきた売春宿の死体。
読者全般にとってはまったくどうでもよかったと思う。

 *

目の前にある幸せを見落とさないために、与えられるものに満足しよう…

そんなことが言える幸せをこそ見落とさないように。私には無理。
そもそも、その“幸せ”に“幸せ”を感じなければありがた迷惑だから。
嬉しいものは嬉しい。いらないものはいらない。
決めるのは当人であって、教化する人間ではない。
そして、教化する人間がふと言った事は大抵無責任な伝言ゲームを楽しんでいるだけで、言い聞かされた当人が思っているほど重要なこととは思っていない。そもそも教化しようという気持ちはさらさらない。

そこにふと落としたアイデアの一つ。拾っても拾わなくても良い。

ありがたいのはそれがアイデアであって、人間そのものではないということ。それが人間を定義するものであったらば、それ以上の絶望はないはずだから。

 *

断片をありがとう。
お話は自分で作ろう。それだけの自由だ。

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ホットケー木

ボチボチ回復しています。ご心配おかけしました(´`;)
サークル発表用の台本作ったり、MC考えたりという作業が舞い込んできて気合いをいれ直さなきゃなりません。自分で考えずに外にやる事があるって素敵。

 *

たぶん、ストレス耐性が平均より大分モロいので原因不明の不安状態とかイライラというのが半年に一度ぐらいのペースでやってくる。去年もこの辺りだったので、今年の12月あたりがまたやばそうでやだなぁ・・・とは思っています。

(--;)

それはいいとして、不安になったことというと同時にいろんなことに興味がわいて、いろんなことが一緒くたになって、よくわからないけれどとにかく不安だったり、気が重かったり、つらかったりする。起きてるのが億劫になるので半日寝てたりもする。・・・という状態だけを言うと“うつ”っぽいけれど、病気として定義されてる“うつ”には当てはまらないかもしれないので、漠然と“不安”ということにしておく。

それが、“なまけ”なのか“甘え”なのか“精神疾患”なのか“自由意志”なのか。もはや、名づけること自体が不毛なんじゃないかと思えてきたので、もう、これは“漠然とした不安”ということでいいと思う。

 *

・・・色々考えたけれど、Quangle Wangle Quee のようになりたい。
あれが理想だなぁ・・・。


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ツ、イ、ラ、ク

という題名の小説を読んだ。姫野カオルコ著。恋愛小説です。二次元界隈でも大人気の“中二”時代に事件を起してしまう一組のカップルの禁断の関係を中心に据えて、周辺の人物たちのことも交えながら“恋愛とはどんなものか?”を≪これでもか!!≫というぐらいみっちり書き綴っています。ので、誰でもどれかしらのパターンに当てはまるように思う。

一般には露骨と受け取られるような表現にパッと見ドキドキしちゃうかも。


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