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@ゆりかごから墓場まで@

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憂き世にはあらぬところのゆかしくて

こちらのブログはしばらくご無沙汰だったのですが、あっちは『わざぼー』『わざぐぅ!』の作品内情報を整理して自分が何であんな面倒臭い解釈をしてるのかっていう考えをまとめる記事を中心にしていて私事を書かないようにしているし、かといって、ツイッターのほうでつぶやくのも気乗りしないので雑記的なことはこっちで書こうかしら、と来年のことを考えたりした……。

どーでもいいけれど。

先月ぐらいに友だちに勧められて落とした、
『冠を持つ神の手』を今月あたまから遊んでいます。それで色々そっちのけぽーい、気がつきゃこんな時期だ。クリスマス絵とか描こうゼ! と自分でも思った。思ったことが実現しないのは、わたしがわざぼー使いじゃないからで、おねがいサンタさん。良い子なわたしにわざぼーください!

とりあえず肉を描いた。


かもかて。
前情報でたいへんと聞いていたので、もともとこの手のゲームが得意じゃないし、攻略サイトを薄目で見つつやっています。近頃ルージョン愛情ルートを終えてドゥナットをどうにかせねばと諸々情報からあたりをつけタナッセヒントを出したく、ひとまず攻略できそうな友情ルート狙いで進行中でした。

寝落ちしたのはイブイブだった。明日やろうというつもりでいた、その当日(クリスマスイブ)に気がついて、ふと寂しさがこみ上げてきました。

なぜ、わたしは実在の友人と連絡をとることも、『わざぼー』関連の更新をして少なくともそれを見てくれる相手がいるところへ向けた行動をとるでもなく、タナッセ相手に友情を深めようとしているのだろうか、と。

リロードで通常イベントも発生しそうにないことを確認して、体力37しかないし、御前試合を大人しく観てから考えようとしていた矢先、車争いみたいなやりとりがはじまったし。この場合、従者の人数的な意味であちらが葵上でこちらは六条御息所なのだろうか。別に何も生まれないし、何かをとりあっているわけでもなく選択肢を間違えなければ楽しく試合を観戦するというイベントで、こいつら楽しそうだな……

などと私の生霊は次のルートで殺しにいく気合を補充しつつ、先へ進めることはできなかったクリスマスイブでした。


みなさんは良いクリスマスを。

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著作者人格権

100年前の作品っていいよね。作者死んでるんだもん。
1000年前の作品もいいよね。作者死んでるんだもん。




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eat me!


「ああ、どうしよ。苦しい。
 どうして、こんなに空気が読めないんだろう?」


「何を言っている! 空気は読むものじゃない!
 吸うものだ! さあ、深呼吸してみろ。
 ハイホー・ハイホー・ふくーらませー♪」


「すぅーーーーーーーー・・」


「鼻から吸って口から吐く!」


「ぷふぅーーーーーーー・・・ うっ・・・」


「どうした?」


「く、くるしい・・・ 変なにおいがした!」


「そうだ。これが空気を吸うということだ。」


「どうしてみんな耐えられるんだ。ごほっごほっ」


「みんな我慢している。
 ・・・ いや、蓄膿症なんだ。」


「なぜそんなまでして空気を吸わなきゃいけないんですか?」


「酸素がなければ生きていけないからな!」


「・・・・。
 いまから大腸菌として生きていきたいと思います。」


「そうか。達者でな!」


「さようなら!
 これから目指す楽園きっとすばらしい花園・・・」



―― こうして、腸内フローラで楽しく暮らしましたとさ。

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ス/タ/ッ/キ/ン/グ/可能

今さらですが、読みました。私が二次創作でいう『パロディ』というものに抱いていた不安のひとつを説明しつくすような作品。正体不明だった恐ろしいものがかたちになった! とスッキリした。安心できてほっとした。このことについて、一歩退いてみられるようになったと思う。だから、もっと冷静に考えられるようになれる。たぶん。

試しにやってみればいいと思うんだ。
“オフィスパロ” と称して、『ス//////可能』 のテキストを利用して、作中人物の名前を、好きなマンガや小説など複数タイトルに登場するキャラクターに置き換えるの。

3段論法みたいなもんだよね。こういうパロディの技法(?) は、別の作品と別の作品のキャラクターが似通っていて、どうかすると、彼らキャラクターひいてはそれら作品の個別性を見えにくくするんじゃないか。“似てますよ” “取り替えてみても結構いけるよ” ということを言うようでモヤモヤする。

でも、これは考え過ぎの類。“パロディ” という作業をした人は個別性を認めたうえでやっている。例え“ス//////可能” という可能性を提示したとしても、作業者は“ファン” だから見分けがつく。同様に“ファン” のコミュニティの中では区別してるし、別物だとわかってる。はず。

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メモがでてきたぞ!

● アイデアまでマネする気はない


 ・ トレースです
 ・ 構図は○○の真似です
 ・ 元ネタはあれです


というのを聞くとすごくガッカリする。第一印象で好意的な感動を覚えた、完成された作品で、すごく立派に見えたとしてもだ。ただその一言を言われただけで、“作者には表現者として不備がある” とまで評価を貶めるクリティカルな欠点のように響く。


でも、最近思うのは、毛嫌いするほどのものじゃないんじゃないか? ということで、“原型を基に技術的な処理をして作家自身のアイデアを表現する手段” だと思えば納得いくような気がする。


  <作者自身に表現したいアイデアがある>


のであれば作者の作品と言って差し支えないだろう。作者が上記手段以外の方法で作品を制作したと主張する(明らかに原型を複製/加工 したものであっても、原型には一切触れていないと言う、など) のでなければ、嘘はついていないんだし・・・。


 


● マネする 理由


こういう方法を選びとる背景には 


作者が、
 A “表現したい”という衝動から作品完成までを時短したい
 B 思想(アイデア)を他者に伝えたい、理解してほしい
 C 方法(アイデア)を他者に伝えたい、理解してほしい 


という、いずれか、あるいは複合的な欲求があるように思う。
また、


 ・ 原型を複製する技術の進歩と普及


が、作者の作品制作に取り組む考え方や方法に影響を与えたのではなかったか。



【A】
制作時間を短くしたいというのは、
 ・ 完成させるまで集中力を持続できない
 ・ 完成した作品をはやく見たい
 ・ 作品を制作する時間がない
など


大きく分ければ、作者自身の性格に由来するものと、時間の制約に由来するものとに分けられるように思う。(いずれの事情も抱えている場合もありうる)


【B】
作家は、自分の思想(考え) が他者に<伝わる/理解される> ことに重きを置く。すでに<伝達され/理解され> ている“自分の思想(考え)に似た作品” を原型にすれば上手くいくと期待している。<この広く知られている/理解されている やり方をすれば、自分の言いたいことも伝わるんじゃないか>。


【C】
Bと似ているが、これは思想(考え) を発表することとは別に、作者が<原型を基に技術的な処理をする> という“表現方法自体に興味をもつ” 場合だ。<そのやり方で表現したい> というアイデア。もっと欲を言えば、<このおもしろい原型を使えばおもしろい作品が作れるんじゃないか> という期待。


* * *

というメモ書きが出てきたんだけれど、【B】【C】が何を言わんとしているのかわからない。何を考えていたんだ、当時の自分!!

 *

私は「マネ」を全面否定したいのではない。

“マネをする” という現象の中に登場する、マネされる人・マネする人・マネしたものを見る人という3者のなかで、誰かしらが金銭的に損をして訴えを起こさなきゃ、まあいいんじゃね? 法律なんて金勘定の話でしょ? 

という風に考えていきたいなぁ・・・ と思ってる。

著作者人格権とかあるけれど、それって本来、換金できるものではないから(法廷に出せば金勘定されるだろうが)、法律を持ち出して話すことじゃなくて、道徳の時間に考えることじゃないか。・・・ その道徳は、いったい何をベースにするつもりなのか不明だけれど。そして、その道徳をスタンダードにするには、お上が強制参加の勉強会でも開かないとどうにもならないけど、結局、偉い人の言うことなんて聞きたくないでしょ?

* * *

● アンケート


「マネしました!」 ってものを見て創作物として違和感をおぼえる理由はなんだ。
 
   マネしたものを創作物として程度の低いものとしてみる価値観がある
   自分もマネしたいんだけれど、なんらかの理由で出来ないので嫉妬心が生じる
     (出来ない理由:   )
   マネしたことが評判を貶めるんじゃないか、という“マネした人への”心配
   マネしたものが評判を貶めるんじゃないか、という“マネされた人への”心配
   その他 (理由:  )

あなたがマネされる人、マネしたものを見る人のいずれの立場としての意見か を明記して、上記から該当するものを選んで、拍手からコメントしてね!(複数回答可) ロ、ホ を選んだ場合は理由も書き添えてもらえるとうれしいです。

・・・・ なんてな。

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