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@ゆりかごから墓場まで@

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ツ、イ、ラ、ク

という題名の小説を読んだ。姫野カオルコ著。恋愛小説です。二次元界隈でも大人気の“中二”時代に事件を起してしまう一組のカップルの禁断の関係を中心に据えて、周辺の人物たちのことも交えながら“恋愛とはどんなものか?”を≪これでもか!!≫というぐらいみっちり書き綴っています。ので、誰でもどれかしらのパターンに当てはまるように思う。

一般には露骨と受け取られるような表現にパッと見ドキドキしちゃうかも。


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EAT ME !

読み取るということは、ある程度の時間と労力を必要とする作業だ。
すべてを興味の範疇に治めるということ。すべてを理解し納得するということ。
ピックアップするのももちろんのことだけれど、それ以外の要素も考慮する。
・・・根気と暇と時間がなければできないことだ。

速さと便利さを求める社会構造において一見役立たずでゴミ同前だろうと思う。
そして、読み取るとは取って代わり、
全体のうち美味しい部位を拠り分ける審美眼に重きが置かれる。
全体のうち美味しい部位だけを見分けて調理する技術が試される。
手際の良い料理人の作る美味しいものをこそ誰もが求めている。

そして誰もが勘違いするようになるんだ。
蒲焼が海を泳いでいるものかと。


 *
でんじゃらすじーさん傑作選『じーコロコミック 邪』
癒された(´▽`) と同時に曽山先生の仕事量ぱねぇ、と思った。
・・・い、生きてる作家の作品を読むって、こんなに不安になるもんなんだ!
ドキドキ。

中身は≪書下ろし≫5本と、≪過去作品≫から“傑作”が11本。「わざぼー」第1話(コミック収録版)と、でんじー前身作「ぼくのおじいちゃん」も収録されています。加えて、新作アニメDVD付きとかすげー豪華。作品本編のほか、コラムそやまんがという作品周辺情報がはいっているのも嬉しいv

まんがを読むのは“ひまつぶし”という人から“命がけ”の人まで楽しめる一冊です。
ファンブックではなくて雑誌形態という手軽さが良いですわ。素敵★


一個だけ感想。
書き下ろしのうち一本は本誌で募集している「おともだち軍団」のハガキの描き方の解説でした。すごく分やすい!・・・でも、全国の意欲的な読者は疑問に思わないだろうか?なにゆえ、特徴を絞らなくてはならないのか?いや、理由は書いてある「わけがわからなくなる」と。

たくさん特徴があるというのは、瞬間記憶ゲームの例題にでてくる“人がたくさんいる場所を撮影した写真”のようなものだと思う。パッと出された写真から、そこにあるものを一体いくつぐらい覚えていられるだろう?全部をほぼ完璧に憶えるのは無理じゃないか?

憶えているもの、というのは大雑把には“気になったもの”だ。
“気になったもの”というのは、その人にとって“おもしろい”ものだ。
“おもしろい”には“笑える”以外に“興味がひかれる”というような意味もある。

とにかく、記憶に残るとはそういうことだ。
絞って減らした特徴をというのは、瞬間記憶ゲームで憶えることの出来た“おもしろい”と思ったことと同じだ。もちろん、瞬間記憶ゲームで憶えたものが人によって違うのと一緒で、“おもしろい”と思うことも人によって違う。

絞った特徴というのは、自分が特に“おもしろい”と思えたことだ。

 *
人に“おもしろい”ことを伝える方法が説明されていた、と思う。

 *
とか、考えるよりもコラムの「おともだち軍団とは?」を読めば、そもそも“おともだち軍団”がいかなるものかというのが分かる。“読者投稿キャラクター”が一つのかたちに定義されるのを見たようで、色々興味深い。

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笑って キャンディ


  どこへいったのかな あのこ
  ひとりぼっちの くさむらで
  つめをかみかみ しゃがんでた
  なかまはずれの みそっかす
「コスモス」
 * * *

  けど もう お父ちゃんいてへん
  お母ちゃんもいてへん
  けど やっぱり 日曜日の朝になったら繰り返す
  ひとりぼっちの ひとりぼっちの
  ぼくのひとりごと
「朝」(「日曜日-ひとりぼっちの祈り」)
 * * *

  ――そしたら そしたら
  いないんだ だれもいないんだ
  生きてるものは
  いないんだ
  だれも
  ――うえ死に してたんだ……

  死がいが いっぱい
  太陽 ギラギラ
  ぼくだけ 生きてて
  こわいよォ! こわいよォ!
  おーい! おーい!
  呼ぼうとしても
  泣こうとしても
  泣けない
  呼べない
  死がいがいっぱい こわいよォ!
  ぼくだけ生きてて こわいよォ!
「ゆめ」(「オデコのコイツ」)

 * * *
蓬莱泰三の詩から。(上2編は信用できる資料からの引用ではありません;)
私の知ってる“ひとりぼっち”が登場する詩を部分的に持ってきました。
「ゆめ」は直接一人とは言っていないけれど、状況的には“ひとりぼっち”
と思ったので持ってきました。

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あ~っぷぅ教

小学生の頃、友だちとカルト教団を作って遊んだ事がある。
はじまりは宗教ではなかったのだけれど、気が付いたら宗教になっていた。

“あ~っぷぅ”について話す前に“よくみたらゲーム”という遊びの説明が必要だ。“よくみたら よくみたら”と節をつけて唱え、身近にあるものを指差して、それがどういう様子なのかを“8・5”の音数で説明するというもの。例えば、パンダを指差して「パンダはメガネで・サングラス」という風に“よくみたら”意外な様相であったことを説明するのである。

いかに意外性を言うかという発想力をためす遊びであり、あるいは、特定の人物を指差してあることないことを言ったりしてからかったりする遊びであった。いずれにせよ、ゲームに参加している仲間うちで笑いが取れれば良いという他愛のないものである。

さて、私はこのゲームが苦手だった。人をはっとさせるような発想力もなければ、人を貶めて笑いをとろうという度胸もない。ついでに、説明を8・5で言えるような語彙もない。そんなわけなので、この遊びで自分の番が回ってきたときはすでにお決まりのパターンと化している、“特定のものを指して決まり文句を言う”ことにしていた。

ただ、そのとき指をさせる“特定のもの”が友人の某だけだった。いつもなら某の頭髪に対するからかいの言葉が決まり文句として続く。――普段の心持であれば続きの言葉を言う事が出来たのだけれど、そのときはたまたま気が進まなかった。情緒が不安定な時期なので、物事の感じ方が日によってかなり違っている。私は某に対してからかうことに躊躇してしまったのだった。私は某を指差して「某のあたまが……」というところまで言いかけて言葉を失う「あーー」……

思いつかなかったので、とりあえず出てきたのが「ぷぅ」という意味のない音だった。意味はあったのかもしれない。「頭がプー」といえば、「プー太郎」とも言うのだから、そういう悪口のつもりで「ぷぅ」と言ったような覚えがある。しかし、某の頭脳は明晰であり、とてもそんな間の抜けた形容が当てはまるとは思われなかった。ゆえに、ゲームに参加していた友人は“あーっぷぅ”で一単語と捉えたらしい。

そして、“あーっぷぅ”という架空の人物が生まれたのであった。

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物語における正義

物語に正義と悪が登場する場合、読者は作品の中にある正しさの観念を読み取って作品に描かれている事象を正しいこと、悪いことという具合に識別しているのか。あるいは、読者自身の価値観によって作品内の事象を裁いているのか。・・・その態度は結局人それぞれだとはいうものの、作品そのものに向き合おうとする場合は前者として読むべきであろう。

作品はやはり作者の思惑によって成り立っているのだから、作者が伝えたいことがなんであるかを読み取ろうとした場合は、読者の正義によって作品内の事象を判断するのは適当とは言えない。それは作者の思惑とはずれた、読者の主観にしかよらない読者一人の内向的な作業となってしまうだろう。読者は自身の価値観をあからさまに発信してはいけない。一方通行に受信する読書とでもいえばいいのだろうか。作品を読み、感じ取ったその“感じ”というのは恐らく読者自身の感性によるものだと思うのだけれど、そうではなくて、作品のなかにある価値観を写し取り作品を読む。そういった行為のことを言いたいのだけれど・・・

分かるかな、、、今すっごく頭抱えられそうな文章書いてるけれど、、、


まず、必要な作業として作品は何を正義とし悪と定義しているのかを読み取ることだと思う。


たとえ、私が個人的にまーさま賢いじゃん!そうだよ、そのやり方ありだよねー!良いんじゃね?などと共感していても、それは私の価値観から良し悪し(善悪)を裁いているだけであって、作品では決して良いこととは言っていない。作品というよりも“みみみちゃん”だけかもしれないけれど・・・

“わざぼー”読んでて何が難しいかって、一体この作品はどのキャラクターの主観で読めばいいのか(どのキャラクターを主体として読めばいいのか)というのに悩んでしまうから。そもそも主観(主体)を一点に絞ることに否定的なような印象も持てる。主人公であるはずのみみみの主観描写が薄弱なのに加えて、しばしばむむを主体に切り替えるし、暗黒ま城編に至っては『めんめんのわざ武王への復讐劇』という明らかにめんめんが主人公みたいな文脈の中にみみみが協力者(めんめんにとっての客体)として参加するという、一体誰が主人公なんだよ!!というものすごい混乱が繰り広げられている。

こんなことにいちいち突っ込む人もいなきゃ、言ったところでこのめちゃくちゃさを理解してくれる人もいないだろうと『わざぼー』読者を舐めてかかってるわけですが・・・っていうか、「コロコロイチバン!」が設定している対象読者層からするとかなり複雑な構造になっているように思われます。


そういうこと気にせずに読めば何の問題もないんです。
(作者も気にしないで読んでね的なことをインタビューで言ってましたね)
・・・でも、見えたものは見るよ!!気になるじゃん!!


第一部のヒーローとヒロインの逆転(女みみみが男むむを救いに行くという展開)みたいな構造もすごい気になってはいたけど、話が進むにつれてカオスを増してる気がした。。。

とりあえず、あの暗黒ま城のくだりはどう読んでも「めんめんのわざ武王への復讐劇」がメインストーリーだったように読めるんだけどな・・・みみみがまーと一騎打ちするということにそこまで積極的だったとは思えないし・・・一騎打ちめんめんちゃんも行けよ!って誰もが思ったことだと思うんだ。

話の流れを整理するために、(いろんな人が言ってるけど)金銀対決後にみむめの3人がどういった取り決めをしてみみみが出撃するに至ったかということが書かれても良かったんでしょうね。や、だって、めんめんちゃんボク一人じゃ無理だったから、みみみちゃん連れてきて代わりに戦いに行ってもらったって・・・超情けない感じではないか。

そうか、ここでみみみ自らしゃしゃり出てアタシが代わりに行ってくる展開だったのか。
これに異議申し立てるめんめんちゃんを説得するためにむむ君がいるのか。
確かにみみみの力になってやってるな。 > むむ君。


筋は通った。
通ったけど、すごい力技での主人公交代だな・・・

で、まーさまお説教タイムに入るわけですが、まーさまは利害一致でわざ武王と組んでるわけだけれど、それのどこがいけないんだろう・・・まーさまがわざ武王を我がもの顔で使っているということなら私は納得いった。もしくは、わざ武王がまーさまを征服せん勢いだったとかいうことでも良かったと思う。(話が長くなるのでここでは説明を省く)

でも、彼ら、話をつけて一緒に世界征服しようねー、という微笑ましいやりとりがあったようにも思えるんだけれど・・・

もうちょいちゃんと読んでみましょう;
 

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