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@ゆりかごから墓場まで@

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じ・いんびじぶる・べあ

あぴにょん:
思うにね、思うに……ジョッシュ君?


ジョッシュ君:
なんですか、あぴにょんさん。考え込んじゃって。


あぴにょん:
だってさ、ジョッシュ君。目の前に見えないクマがいるんだけれど、
そいつに襲われたら怖いじゃない? 
死んだふりする? 木に登っても無駄なんだよね。
クマのほうが木登り得意だし……


ジョッシュ君:
見えないクマにどうやって警戒すればいいって言うんですか。
そんなクマの事は考えないでいつもどおり平和な気持ちで過ごしていれば
いいんじゃないですか?


あぴにょん:
襲われるね。


ジョッシュ君:
仕方ないですよ。見えなかったんですから。


あぴにょん:
でも、わたしはたしかにそこにクマがいるって事を知っているんだ。
それなのに、どうして“仕方がない”て言う事が出来る?


ジョッシュ君:
うーん……じゃあ、クマを見えるようにする方法でも考えればいいんじゃないですか?
そうしたら、クマに対してもっとマシな対策を練られるようになるかもしれない……


あぴにょん:
どうしたらクマが見えるようになるだろう?


ジョッシュ君:
クマに色をつける!


あぴにょん:
なるほどね。そうするとクマは“見えないクマ”ではなくなる。
……ああ、でも、それはもう“見えないクマ”ではないよね。
私が恐れているはずの“見えないクマ”ではない……ってことは、
“見えないクマ”と対峙する方法にはならないということだ。
“見えるクマ”なんてどうだっていい。“見えないクマ”から逃れる方法を探しているんだ。


ジョッシュ君:
それじゃ、きっと“見えないクマ”から逃れる方法なんてないんですよ!
どんなに平和に過ごしても、どんなに脅えて過ごしても、
同じことに違いありません!!

だったら、いつもどおりに過ごしていたほうが
楽しい気持ちでいられるんじゃありませんか?


あぴにょん:
……いや! 絶対に“見えないクマ”から逃れる方法はある。
逃げるんじゃなく、殺すんでもいい。いやぁ……もっと平和的な……
そう、平和的な解決があるはずで、、、えーと、えーと。。。
うー……そうだな。

クマを飼いならす事が出来ればいいのだけれど……


ジョッシュ君:
“見えないクマ”を調教するんですか?


あぴにょん:
玉乗りさせて、火の輪くぐりもさせるんだ。


ジョッシュ君:
サーカスでもやるつもりですか?


あぴにょん:
そうだね。“見えないクマ”のサーカスを皆にお披露目するんだ!
……きっとお金になるね。いくらぐらい儲かるかな?


ジョッシュ君:
誰にも見えないんですから、お客なんて来ないですよ!

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憂き世にはあらぬところのゆかしくて

こちらのブログはしばらくご無沙汰だったのですが、あっちは『わざぼー』『わざぐぅ!』の作品内情報を整理して自分が何であんな面倒臭い解釈をしてるのかっていう考えをまとめる記事を中心にしていて私事を書かないようにしているし、かといって、ツイッターのほうでつぶやくのも気乗りしないので雑記的なことはこっちで書こうかしら、と来年のことを考えたりした……。

どーでもいいけれど。

先月ぐらいに友だちに勧められて落とした、
『冠を持つ神の手』を今月あたまから遊んでいます。それで色々そっちのけぽーい、気がつきゃこんな時期だ。クリスマス絵とか描こうゼ! と自分でも思った。思ったことが実現しないのは、わたしがわざぼー使いじゃないからで、おねがいサンタさん。良い子なわたしにわざぼーください!

とりあえず肉を描いた。


かもかて。
前情報でたいへんと聞いていたので、もともとこの手のゲームが得意じゃないし、攻略サイトを薄目で見つつやっています。近頃ルージョン愛情ルートを終えてドゥナットをどうにかせねばと諸々情報からあたりをつけタナッセヒントを出したく、ひとまず攻略できそうな友情ルート狙いで進行中でした。

寝落ちしたのはイブイブだった。明日やろうというつもりでいた、その当日(クリスマスイブ)に気がついて、ふと寂しさがこみ上げてきました。

なぜ、わたしは実在の友人と連絡をとることも、『わざぼー』関連の更新をして少なくともそれを見てくれる相手がいるところへ向けた行動をとるでもなく、タナッセ相手に友情を深めようとしているのだろうか、と。

リロードで通常イベントも発生しそうにないことを確認して、体力37しかないし、御前試合を大人しく観てから考えようとしていた矢先、車争いみたいなやりとりがはじまったし。この場合、従者の人数的な意味であちらが葵上でこちらは六条御息所なのだろうか。別に何も生まれないし、何かをとりあっているわけでもなく選択肢を間違えなければ楽しく試合を観戦するというイベントで、こいつら楽しそうだな……

などと私の生霊は次のルートで殺しにいく気合を補充しつつ、先へ進めることはできなかったクリスマスイブでした。


みなさんは良いクリスマスを。

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クリエイティブな鳥

つぎはぎのカラスのあだ名ボロ雑巾

ボロ雑巾は踏まれても 飛び散るのは誰かの羽
とりどりに色々のものだから、
ボロ雑巾は痛くもかゆくもないのです

いちばん美しい鳥はボロ雑巾である

――そのとおり!

地に這う者が 天上よりも
高いところを飛ぶのです
そうすれば、星々は磨かれ輝き夜を楽しいものにするのです
(暗闇はカラスのために多くの鳥を殺します)

だから、
ボロ雑巾が給食の時間ふいに湧きこぼれた吐瀉物に
ふんわりとおおい被されるような屈辱を受けたとしても
心を痛める必要はありません

教室は悲鳴で充満します
「誰が、このボロ雑巾を片付けるのか?」と

ボロ雑巾は飛び上がって、誰にも等しい苦難をまき散らします

とりどりの羽に彩られた美しい鳥

ああ ボロ雑巾よ
泥濘の泥をすすれ
そうして重くなったお前を搾り
ブリキバケツに溜った一滴の血も
あまさず下水に流そう

おいしくクリアでからだによい水を飲みたい
私たちのために……!

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まわりくどい“馬鹿”(未完)

ある知人に「死ね」とメールで送りつけたくなった。

全人類死ねばいいとさえ思う。誰でもいいから「死ね」と叫びたい。けれど、とっさに思い浮かんだのはその人だけだった。そいつに「死ね」と言えれば満足できる気がした。その人に対して後ろめたさとともに不満が生じるような思い出があった。その時の嫌な気持ちを忘れたかったから、「死ね」と言いたい。もちろん、他人にこんなことを相談すれば「あとで後悔するだけ」とか「そんなことをしても気が晴れるはずかない」という“思いやり” を込めた助言をされるだろう。間違いのない一般論を工夫もなく心に響かない口ぶりで言われるに違いない。反社会的な発言にチャンスを得て“常識的な良い人アピール” をしようという魂胆じゃないかと疑わしく、全く信用ならない。だから、他の誰にもわたしの計画を教えたくない。そうやって、誰かの意見を発表する機会にされてはたまらない。機会なんて自分で作ればいいじゃないか。そりゃ、なんの脈絡もなく突然「人の心を思いやろう」「思想は自由だ」「人々は平等なのだ」などと叫ぶ奴がいたら、どうかしてるとしか思えないだろうね。

<死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……> と連続して書くのには意図がある。恐怖を煽ろうとか、不気味な印象を与えようとか。文字数を重ねた労力に感動してほしいところだ。しかし、手段としては幼稚すぎる。もっと効果的かつ知的で相手に好印象を与えるような素敵なやり方はないだろうか。「夜道に気をつけて(意訳:死ね)」「よい夢を(意訳:死ね)」「いつかあの星につれていってあげるよ(意訳:死ね)」遠まわしに言えば格好がつくというものでもない。そもそも、「死ね」と言われて気分がいいはずないじゃないか。

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波動

塔の向こうに
町が見みえるでしょう
鳥が教えてくれました
私 見たわ 遠くの遠く
あなたが あなたが あなたが

あああああああああ

私が見ていた遠くの遠くに
あなたが見ていた鳥がいたんです
鳥は町を見下ろしていたの
港に見える塔の向こうから
あなたのことを

私 

見ていた

鳥の目になれば町が見通せるの
塔のてっぺん 屋根に止まって
あなたを あなたを あなたを

おおおおおおおおお

そうよ 嵐がやってきた
港に波が被さって
塔にも波が被さって
町にも波が被さって
あなたは波に飲まれていって

鳥は 空から あなたを  見ていた
雨に打たれて 止まり木もなく

飛び続けたらば

海に落ちたの

私が見るのは遠くの遠く
塔が見えるの
港が見えるの
町が見えるの
あなたが見えるの

私に鳥は見えません

だって そこに
鳥はいないんですもの

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