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@ゆりかごから墓場まで@

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すっからかん!

「きれい好き」



落っこちていた
箱の中身は 誰かが集めた たからもの

これ これは こ これは
コ・レ・ク・ショ・ン・ボッ・クス
だって 蓋に書いてあるもの

すごいな きれいな 宝石みたい
ざらざら 色々 ガラスの破片に
考古学的な想像力が刺激され
まるで 専門家きどりで
頭の中で ころころ転がしてみたよ

―― あれあれ
これって こわれもの
単なる割れたガラスじゃない?

ショック 世紀の大発見
コレハゴミデス! ゴミバコデス!

持ち主のチグハグさを
貼り合わせることはできなくて
形をなさない 雑な手仕事
無意味で役立たずの世間の邪魔者

こんなゴミばっかりを
さも素晴らしいもののように
箱に納めているなんて
あたまがおかしいんじゃないの?

箱を人目につくところに置いたら
みんなで楽しい品評会
 「これはゴミ箱です」
 「おかしな いらない ゴミばかり」
 「ほんとに ゴミしかはいってない」
 「ゴミを集めたやつはおかしい」
 「いらない ゴミのようなやつだ」

落っこちていた
箱の中身は 誰かが集めた たからもの

これは これは コレクションボックス
だって蓋に書いてあるもの

それでも みんなは口々に
「ゴミ箱」 と言って笑うので
やはり つまらない箱だったのだろう と
専門家きどりで 断言してみる

結論は――
コレクションはただのゴミであり
有意のものとは言い難く ゆえに
箱の持ち主はくだらない人物である
一方で
あらゆる手を尽くした 私自身の
豊かな想像力は評価すべきだ されるべきだ

(貼り合わせることはできなくて
(形をなさない 雑な手仕事
(無意味で 役立たずの ・・・

それはいったい誰のこと?

なにをおっしゃる! わたしはゴミは集めません
ベストセラーの日用品を箱に詰めて重宝してます
生活の知恵 無駄のなさ 理にかなった快適さ
絶対満足の品ぞろえ

それらは
確実に使い切ってしまうので
箱の中身はいつでも 空っぽになる
というわけです

わたしは とっても きれい好きだから

割れたガラスの破片が きらりと光っていても
絶対たからものなんかにしないんだからね!



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センテンスしかない

手紙を書いてみよう
切れ目はいらないよ
つなげてつづったら
片端から数えていく
ABCDEFGHI
JKLMNOPQR
STUVWXYZ…
いくつずつあるかな
そこから選り分けて
これから向かう場所
住所を見つけなきゃ
ゆくえがわからない
まいごになったかも
かなしくなってきた
時間が追ってきたら
死ぬのがこわいから
逃げ道はどこにある
抜け道はそこにある
近道はここらあたり
なければ作ればいい
パラグラフの裂け目
モーゼのみたように
手紙を書いてみよう
センテンスしかない



センテンスしかない
手紙を書いてみよう

モーゼのみたように
パラグラフの裂け目
なければ作ればいい

近道はここらあたり
抜け道はそこにある
逃げ道はどこにある

死ぬのがこわいから
時間が追ってきたら

かなしくなってきた
まいごになったかも
ゆくえがわからない

住所を見つけなきゃ
これから向かう場所

そこから選り分けて
いくつずつあるかな

…ZYXWVUTS
RQPONMLKJ
IGHFEDCBA

片端から数えていく

つなげてつずったら
切れ目はいらないよ

手紙を書いてみよう



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クリエイティブな鳥

つぎはぎのカラスのあだ名ボロ雑巾

ボロ雑巾は踏まれても 飛び散るのは誰かの羽
とりどりに色々のものだから、
ボロ雑巾は痛くもかゆくもないのです

いちばん美しい鳥はボロ雑巾である

――そのとおり!

地に這う者が 天上よりも
高いところを飛ぶのです
そうすれば、星々は磨かれ輝き夜を楽しいものにするのです
(暗闇はカラスのために多くの鳥を殺します)

だから、
ボロ雑巾が給食の時間ふいに湧きこぼれた吐瀉物に
ふんわりとおおい被されるような屈辱を受けたとしても
心を痛める必要はありません

教室は悲鳴で充満します
「誰が、このボロ雑巾を片付けるのか?」と

ボロ雑巾は飛び上がって、誰にも等しい苦難をまき散らします

とりどりの羽に彩られた美しい鳥

ああ ボロ雑巾よ
泥濘の泥をすすれ
そうして重くなったお前を搾り
ブリキバケツに溜った一滴の血も
あまさず下水に流そう

おいしくクリアでからだによい水を飲みたい
私たちのために……!

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まわりくどい“馬鹿”(未完)

ある知人に「死ね」とメールで送りつけたくなった。

全人類死ねばいいとさえ思う。誰でもいいから「死ね」と叫びたい。けれど、とっさに思い浮かんだのはその人だけだった。そいつに「死ね」と言えれば満足できる気がした。その人に対して後ろめたさとともに不満が生じるような思い出があった。その時の嫌な気持ちを忘れたかったから、「死ね」と言いたい。もちろん、他人にこんなことを相談すれば「あとで後悔するだけ」とか「そんなことをしても気が晴れるはずかない」という“思いやり” を込めた助言をされるだろう。間違いのない一般論を工夫もなく心に響かない口ぶりで言われるに違いない。反社会的な発言にチャンスを得て“常識的な良い人アピール” をしようという魂胆じゃないかと疑わしく、全く信用ならない。だから、他の誰にもわたしの計画を教えたくない。そうやって、誰かの意見を発表する機会にされてはたまらない。機会なんて自分で作ればいいじゃないか。そりゃ、なんの脈絡もなく突然「人の心を思いやろう」「思想は自由だ」「人々は平等なのだ」などと叫ぶ奴がいたら、どうかしてるとしか思えないだろうね。

<死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……> と連続して書くのには意図がある。恐怖を煽ろうとか、不気味な印象を与えようとか。文字数を重ねた労力に感動してほしいところだ。しかし、手段としては幼稚すぎる。もっと効果的かつ知的で相手に好印象を与えるような素敵なやり方はないだろうか。「夜道に気をつけて(意訳:死ね)」「よい夢を(意訳:死ね)」「いつかあの星につれていってあげるよ(意訳:死ね)」遠まわしに言えば格好がつくというものでもない。そもそも、「死ね」と言われて気分がいいはずないじゃないか。

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波動

塔の向こうに
町が見みえるでしょう
鳥が教えてくれました
私 見たわ 遠くの遠く
あなたが あなたが あなたが

あああああああああ

私が見ていた遠くの遠くに
あなたが見ていた鳥がいたんです
鳥は町を見下ろしていたの
港に見える塔の向こうから
あなたのことを

私 

見ていた

鳥の目になれば町が見通せるの
塔のてっぺん 屋根に止まって
あなたを あなたを あなたを

おおおおおおおおお

そうよ 嵐がやってきた
港に波が被さって
塔にも波が被さって
町にも波が被さって
あなたは波に飲まれていって

鳥は 空から あなたを  見ていた
雨に打たれて 止まり木もなく

飛び続けたらば

海に落ちたの

私が見るのは遠くの遠く
塔が見えるの
港が見えるの
町が見えるの
あなたが見えるの

私に鳥は見えません

だって そこに
鳥はいないんですもの

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